朝乃山関を育てた恩師は、中学相撲のライバル校にいた彼だった!

私は、中学時代は柔道部に所属していましたが、恵まれた体格と長い手足、腕力をもっていたので、相撲大会にも掛け持ちで出場しておりました。

まだ、柔道を始めて間もない中学一年生の頃だったと思います。初めて県の地区相撲大会に出場したときのことでした。今では懐かしい、忘れることのできない大会になったのですが、それには理由があります。この話は2019年五月場所で平幕優勝を果たした、富山県出身の朝乃山関にも関係する内容となっています。

柔道部所属で相撲の地区大会優勝

初めて参加した地区の相撲大会を、難なく順調に勝ち上がり、1年生ながら決勝まで勝ち進みました。決勝戦の相手は、体格も経歴も一回りくらい上でしたが、私は開始わずか30秒ほどで相手の上手を取り、そのまま上手投げを決めて優勝したのです。

優勝できたのはまぐれだと思っていましたが、周囲からはその敢闘ぶりを認められて、私は県の相撲界でも注目されるようになりました。

私は、その年秋に行われた県の相撲大会にも出場しました。地区大会を勝ち進んできた強豪が揃う中、何とか一回戦は勝ちました。しかし、二回戦でI君と言う、とても強い相手と当たってしまい、体格差もあり、あっさり敗れてしまいました。

強豪中学の実力者だった浦山君

私が負けた相手のI君は、K中学の生徒でした。I君は、K中学でも一番の実力があると言われている浦山君にも勝って、県の相撲大会で優勝しました。

この試合で優勝を逃した浦山君は、中学は違いますが私と同じ年。浦山君が在籍していたK中学はその2年後(私たちが中学3年生のとき)に全国中学校相撲大会で優勝しています。

当時のK中学相撲部に在籍していた部員たちは朝乃山関の母校である県立T商業高校に進学し、高校相撲でも全国レベルの活躍を見せました。

浦山君は大学卒業後、母校であるT商業高校で教員をすることになりました。その時に育てたのが、先場所で平幕優勝を果たした朝乃山関だったです。

朝乃山関の優勝を天国で喜んでいる

順風満帆な教員人生に見えた浦山君でしたが、平成29年に病気のため亡くなられました。朝乃山関の優勝インタビューでも、浦山君の名前が恩師として紹介されていたのには、K中学時代の同級生として、私も胸が熱くなりました。

ちなみに、朝乃山関や浦山君が育ったK地区は、とても相撲の盛んな土地柄であり、明治から大正時代に活躍した伝説の大横綱太刀山の故郷でもありました。

なお太刀山関の古いことわざに、「太刀山の前では相手は45日」という言葉が有名です。45日というのは1ヶ月半。これは、語呂合わせで「一突半」の意味です。太刀山関の前では、一突半の突き押しで相手は土俵から突き飛ばされる、つまりそれほど強いということを表現しています。

朝乃山関が大正、昭和、平成の時代を超えて幕内最高優勝し、米国トランプ大統領を招いて行われた表彰式はとても心に残るものでした。富山県出身の力士として、朝乃山関の優勝は、太刀山関の最後の優勝から103年後のことだそうです。

亡くなった浦山君は、私の隣の中学でした。浦山君は、人間的にもとても素晴らしく、私とは中学以来会っていないにもかかわらず、気さくに話しかけてくれたのが、記憶に新しいです。

その教えを朝乃山関は、しっかりと受け継いでいるとおもいます。浦山君は、朝乃山関の初優勝を天国で喜んでいることでしょう。

テレビを見ながらふと、浦山君の先輩にあたるI君との試合を思い出しました。朝乃山関の優勝、そして浦山君の死が、私とI君との取り組みを心に残る試合にさせたのだと思っています。

(文・ダッカー)