田舎の高校生を柔道インターハイ決勝に導いた高波善行先生の指導

私が高校時代にお世話になった高波義行先生は、バルセロナオリンピック柔道男子78kg級の候補選手でした。高波義行先生は、オリンピック出場はできなかったものの、その実力はまさにオリンピック級でした。現、総合格闘家の小川直也選手や吉田秀彦選手に勝利したこともあるのは、今でも有名な話です。

高波善行先生の現役時代

高波善行先生は、平成2年の全日本体重別選手権大会の決勝で、当時優勝候補筆頭であった吉田秀彦選手から決勝でお互い左組みの相四つでありながら内股で一本勝ちしました。

高波善行先生の内股は一発で軸足から入り、相手を一回転半させるほどのバネがありました。当時の輝かしい実績もあり、その年のアジア大会では、78キロ級の日本代表で出場されましたが、得意の内股を警戒され韓国の選手に敗れました。

また、余談ではありますが、高波善行先生は高校時代に出場した、全国高等学校柔道選手権の準決勝で、東京の世田谷学園との代表戦となり、後にバルセロナオリンピック金メダリストの古賀稔彦選手の兄である古賀元博選手にも勝利したのです。

その試合は、古賀元博選手が終始担ぎ技などで優勢にすすめておりましたが、残り50秒で放った内股で高波善行先生が一本勝ち。古賀元博選手が1回転半するほどのキレのある内股でした。

高波善行先生はその後も講道館杯、全日本選抜体重別選手権大会でも優勝されましたが、バルセロナオリンピックの年に行われた全日本選抜体重別では、苦手の持田達人選手に敗れ、代表の座は吉田秀彦選手に渡りました。吉田秀彦選手はバルセロナオリンピックで、見事金メダルを獲得しました。

柔道に生かせるフィジカルトレーニングを導入

先生は年齢的な事もあり平成5年の全日本選抜体重別選手権大会を最後に、一線を退かれら富山県の教員に就任され、平成5年から正式に高校の監督になりました。

当時私は、高波善行先生の中学、高校の後輩であったことから、先生とよく乱取り稽古をつけていただきました。先生はとても無口な人でしたが、先生と稽古することで自然と技が切れるようになりました。

高波善行先生が監督になって劇的に変わったのは、練習時間でした。短期集中型となり、トレーニング方法も変わりました。

今までは腕立て伏せ、腹筋、背筋しか知らなかった田舎の高校生に、ステッピング、バーピー、反復横跳びの連続運動を指導し、私たちに瞬発力の必要さを叩き込みました。

その甲斐があって、全国大会でも皆活躍できるようになり、インターハイでは決勝まで進出しました。しかし、惜しくも0-1で破れ準優勝に終わりましたが、過去34年の歴史上、インターハイ2位は最高の実績となりました。

高波善行先生にいただいた言葉

高校卒業の際には、励ましとも思える高波先生の本音を2つ、私に語って下さいました。

1つ目は、「お前は階級を1つ下げて、一生懸命練習すれば面白い選手になれた。もったいなかったけど、大学で頑張れば必ず上に行ける!」というお言葉です。

2つ目は、「オレ(高波先生)が吉田秀彦に勝てたのは、彼が10キロ以上減量して78キロ級に出場し、立ってるのもやっとなほどフラフラだったから勝てただけで、まともにやったら絶対に勝てない。上には上がいるんだ」というお言葉でした。

その後私は高校を卒業し、九州の大学に進学しましたが、怪我のため思うような柔道は出来なくなりこれといった戦績も残せませんでした。しかし、先生から高校時代に教わったことや頂いた激励のお言葉を胸に4年間頑張ったことは、今となっては忘れることができないとても良い思い出です。

(文・ダッカー)