田村亮子と同世代の女子柔道家が背負い投げで一本を取るまで

私は、中学1年から柔道を始めました。その頃は漫画のYAWARAが大流行、そしてあの田村亮子選手が中学3年で福岡国際を優勝した時代。正に、女子柔道の大ブームが訪れようとした時でした。

負け知らずで県代表、自信に満ちていた

私も波に乗り、素質があったのかは分かりませんが、中学3年になる頃にはいつも表彰台に立つようになり、いつのまにか柔道一直線に。進学も、中学の先輩たちが行っていた高校を受験して、合格と同時に稽古に行っていました。高校に入ってからは身長は152センチ、階級は−48キロ級、一番人数が多い階級で戦いました。

朝練、夕練、そして部活が終わってからも市の道場に行ったり、日曜日は隣町の男子校に練習に行ったりもしてたので、最初の試合から優勝、それから負け知らずで1年生の3月には県代表として全国高校選手権に出場しました。

自分は強い、全国でも絶対勝ちに行くと自信に満ちていました。

練習会場で田村亮子を見る

しかし、東京武道館の練習会場で、同じ階級の選手が練習している風景、そしてあの田村選手を目の当たりにして、自信という文字は一瞬にして消え去り、レベルの差に愕然としたのを覚えています。

翌日行われた私の試合は、送り襟締めの見込み一本であっけなく一回戦負けでした。涙も出ない、ただ立ちすくんで試合をずっと見ていたでしょうか。

田村亮子選手をはじめとする強豪校の選手達が一本勝ちで勝ち上がって行くのを目の当たりにして、私も、立ち技で一本を取れる技が欲しいと強く思うようになりました。

どんなことがあっても「背負いで膝はつかない」と決めた

一本を取る背負い投げ、これが得意技となるまでには数々の試練がありました。

まず、双手背負いでも一本背負いでも、膝をつかずに入り込む練習に切り替えていかないといけなかったこと。

膝つきは入りやすいけど巻き込む形でないと投げれないので、有効又は技有りくらいでとどまってしまうのと、膝の故障にも繋がってしまいます。

しかし、膝をつかずに背負い投げに入るのは至難の技。とりあえず脚力をつけるためにフルスクワットを死ぬほどやった記憶があります。

そして、どんなことがあっても膝はつかないと決めたこと。

膝をつかずに背負い投げに入るにはちょっとしたコツがありました。無理に入らずにとにかく動いて相手を崩し、組まれないうちにこっちが組んだらすぐに技に入ります。これを心がけていくうちに、いつのまにか膝をつかないで背負い投げに入れるようになりました。

そして、得意技が背負い投げと堂々と言えるようになって、試合でも一本を取れるようになりました。高校2年生になる頃には、国体の強化選手にもなって、県外遠征にも行くようになりました。

背負い投げで一本を取るには

膝をつかないで入る入らないに限らず、背負い投げは思い切りがないと絶対入れない技だと思います。身長や体格に関係なく、重心を一気に落としてそこから思い切り前方に回転する力があれば高い確率で成功します。

ポイントは、相四つでもケンカ四つでも相手に釣り手を持たせないことだと思います。

よく、足技からの連携で入ると決まりやすいと言われてましたが、相手の隙を狙うなら、釣り手で相手の鎖骨あたりを一瞬ドンとついて怯ませた隙に思い切りよく入るのが一番かかりやすいと思いました。

双手背負いでは肘を痛めやすいので、苦手な人は肩襟背負いや一本背負いでも良いと思います。

背負い投げは、決まるととても爽快ですし、ギャラリーからも注目されるのでちょっと有名人になった気分になってしまいますね!

(文・黒帯ももこ)