アトランタ五輪で見た!野村忠宏の最後まで諦めない柔道

高校時代に柔道を始めたものの、自らの才能に早々と限界や見切りを感じていた大学生時代、アメリカでアトランタオリンピックが開催されました。

数ある競技の中でもっとも楽しみにしていた柔道競技は大会の開幕直後から始まります。

世間は田村亮子に注目、無名だった野村忠宏

当時、世間の注目を一身に集めていたのは、48kg級のヤワラちゃんこと田村亮子(現 谷亮子)選手でした。

田村選手は前回大会のバルセロナオリンピックで弱冠16歳ながら銀メダルを獲得し、今大会こそは金メダル獲得をと日本国中の期待を背負っていました。

一方、同日に開催される男子60kg級には野村忠宏選手がオリンピックに初出場をしていました。当時の野村選手は無名に近く、世間の注目度や関心はほとんどゼロに近いうえ、マスコミなどの紹介もごくごく軽微な扱いでした。

野村選手はまだ20歳そこそこで私と同年代だったことや、すでにスター選手だった田村選手に比べて世間の華やかさとは無縁ながら、柔道家として粛々と大舞台に臨む姿勢が好ましく、私は期待を込めて野村選手に注目していました。

そうした状況の中、アトランタオリンピック柔道競技の初日が幕を開けるのです。

野村忠宏vsニコライ・オジェギン│アトランタ五輪

2回戦から登場の野村選手は初戦を難なく突破して3回戦に進出します。しかし、3回戦という序盤にもかかわらず、最大の壁に早々とぶつかることになります。

3回戦の対戦相手は当時60kg級最強といわれた世界選手権チャンピオンのニコライ・オジェギン選手でした。

ロシア代表のオジェギン選手は肩車や背負い投げ、袖釣込み腰などが得意で、世界選手権では日本選手も煮え湯を飲まされています。私は組み合わせの非運を嘆きながら、しかし、野村選手の可能性と勝利を信じて試合開始を待ちました。

試合序盤、野村忠宏の防戦が続く

運命の試合開始早々、組手争いからの組み際にオジェギン選手が左の袖釣込み腰を仕掛けます。相手の背中に担がれてしまった野村選手は側面から落とされて有効を取られます。開始早々の先制打でしたが、まだまだオジェギン選手の猛攻は続きます。

体を低くして肩車の態勢に入ったオジェギン選手は、その猛烈なパワーで野村選手を持ち上げ、畳に投げつけます。あわや一本かという大技でしたが、野村選手は空中で一回転させられながらも懸命な防御で対応し、何とか有効を取られるだけで済みました。

5分間で行われる試合の前半が過ぎた時には、すでに有効2本分のリードを許す非常に苦しい展開で重苦しい雰囲気が漂っています。ただ、若き野村選手の表情からは焦りや悲壮感が感じられず、後半に自らの柔道をやりきる決意がみなぎっているようでした。

試合後半、攻めに転じた野村忠宏

後半に入っても途切れない激しい動きと組手争いの中、野村選手が徐々に攻めに転じます。得意の背負い投げを連発し、時には大外刈りや小内刈りも混ぜながらオジェギン選手を崩すべく猛攻を続けますが、さすがは世界チャンピオンのオジェキン選手です。

巧みな体さばきと防御で野村選手の攻撃をことごとく退けます。野村選手の猛攻でオジェギン選手に疲れが見え始めたと思いきや豪快な背負い投げを放ち、野村選手に冷や汗をかかせる場面もありました。

一進一退ながらも時計は刻々と進み、残り時間が1分、30秒、20秒と無情に過ぎ去っていきます。終盤に向けて果敢に攻め立てる野村選手ですが、決め手となる技を出すことができず、もはやこれまでかと多くの人が思ったであろう時でした。

試合終盤のチャンスを掴んだ野村忠宏の機転

消極的姿勢でオジェギン選手が指導を取られた直後、何とか右手だけ相手の襟をつかんだ野村選手は、不完全ながらも強引に背負い投げを放ちます。

しかし引き手を取っていないため投げ切ることができず、野村選手の背後にまわったオジェギン選手はそのまま背負い投げをつぶしにかかりました。ところが、その瞬間です。

野村選手は自らの頭を畳に落として支点にし、オジェギン選手を背負ったままアクロバットのような前転を敢行したのです。

野村選手にしっかりとつかまれていたオジェギン選手は前転に合わせてきれいにひっくり返ります。一本と判定されてもよいほどの見事な渾身の技で、野村選手は試合を土壇場でひっくり返す技有りを奪い取ったのです。

私は驚きと興奮のあまりに絶叫していました。技が決まった後の残り時間は10秒を切っていました。

最後まで諦めなかった野村忠宏

その後、野村選手は順当に勝ち上がり、見事に金メダルを獲得します。次のオリンピック以降も金メダルを2つ獲得し、柔道界の伝説といえる前人未到の3連覇を達成することになります。

勝負は最後まで何が起こるかわからないとよくいわれます。しかし形勢が明らかな場合、多くの人が諦めや慢心を抱いてしまいます。当時の私にも少なからず悩みや迷いがあり、歩むべき道を見出せないことが多々ありました。

アトランタオリンピックで最後まで諦めない野村選手を見て、大いなる感動と感銘を受け、信念をもって自分の道を歩む勇気をもらった気がしています。そして、世間の評価に惑わされることなく、自分の道を模索する大切さを学んだ素晴らしい試合でした。