「ただ一撃にかける」に学ぶ気剣体の一致、捨て身の一本、無心

社会人になって、剣道を思い出す機会が増えました。

「ちょっと最近、運動してないなぁ」ということなどをきっかけにまた剣道がしたくなってきています。

剣道ドキュメント「ただ一撃にかける」との出会い

そんなとき、ユーチューブで剣道関連の動画をネットサーフィンしていたところ、

あるひとりの剣道選手のドキュメンタリーが見つかりました。

イギリス・グラスゴーで行われた第12回世界剣道選手権(2003年7月)で日本チームの主将を務める栄花直輝選手の剣道への取り組みを追った、「にんげんドキュメント ただ一撃にかける」です。

偶然にも、わたしが中学時代に剣道のバイブルとして愛読していた本に取り上げられていた方でした。

わたしは、そのおかげで、袴をきれいにたためるようにもなるなどお世話になっていました。また、部活動で教えてもらったことの復習にも使い、読みこんでいる本でした。

気剣体の一致とは

拝見した番組では、世界剣道選手権大会が主だったようですが、個人的に印象的だったのは全日本剣道大会のシーンの方でした。

剣道でよく耳にする、気剣体の一致を具体的に観て学ぶ勉強にもなったと思います。

気剣体とは、心や意志を指す気、正しい竹刀の動きを指す剣、足が十分に踏み込めているかなどの体勢を指す体のことです。

これらが一致したときに、有効打突として認められ、旗が上がり一本となります。

そうして勝敗が決まっていくのです。

捨て身の一本とは

普段は、警察官として働かれているプロ。

町の道場では、子どもたちに打たれても打っていくよう本気で向き合っておられ、逃げない姿勢や、正しいことのために自分に勝つことを伝えようと子どもと話すシーンも出てきます。

捨て身の一本を取りにいくため、全力をかけるとお話されるプロ。一体、どういう技なのだろうと思われるでしょう。

わたしも興味深く、試合を食い入るように観戦しました。

全日本剣道大会の試合にて、プロは、天才とも言われていたとても強い相手との試合です。

対戦相手の得意なメンを返しドウで応じていく作戦をたてて、機会を待っている様子でした。

とうとう相手がメンを打ち、プロがメン返しドウを打ちました。勝ったと思った瞬間、上がったのは、相手の放ったメンの方でした。

このときプロは、テレビ映像を観て負けを認めて、自分の剣道に足りないのは何かと原点に立ち返ります。

一年後、同じ対戦相手との試合の日が来ました。

そこには、相手のメンを足でさばいてコテを決めるプロの姿がありました。さらに、世界選手権での大将戦をも、捨て身の一本を決められていました。

剣道から離れていても学べる無心

印象深かったのは、プロが勝ちにこだわっていては、無心の一本は出せないという気づきでした。

欲や恐れ、すべてを捨て切って出す一本。無心で打つ技。

私自身、部活の稽古では、元警察官の先生より「捨て身で打つんだ」と繰り返し、ご指導を受けていました。

たとえ打たれても、技を打ちにいく姿勢とは、こういうことなのか!としっくり来ました。

わたしは、残念ながら今のところ、剣道をする機会がありません。

そんなわたしでも、このプロが習得された捨て身の一撃の影響は、大きいと感じています。

たとえば、人生には試練が与えられるものだと思います。そして、長いこと生きていると何としてでも勝ちたいという欲や人からどう思われるかの恐れなどというものに、心がとらわれる時も来ます。

私にも大小さまざまな試練がくるのですが、自分の勝ち負けのこだわりに気付かされます。

「最後には、自分との戦い」という言葉には、共感される方も多いのではないでしょうか。

プロが困難に立ち向かい、何が自分に足りないのか?と問いかけ、無心で全力を尽くされたことを思い出します。

人生の困難にあっても、良い考えや作戦を練ることもありだと思いますが、無心で物事に当たれるといいなと、しみじみ感じています。

こうした剣道を通じて、間接的にではありますけれど、物事に対する考え方など、剣道以外の生活にも良い刺激を受けている実感があります。

負けそうな自分の弱い心に打ち勝てるようになりたい。少しでも前に進みたい。

これから先も、あの、無心の技を心に留めようと思います。

(文・しろくま)