中学剣道で突き!?元国体選手の厳しい指導の成果は?

私が中学2年生に進級した春にそれまで指導してくれていた剣道部の監督が他校に赴任されました。

その監督は、自分が去った後に剣道部の存続が危うくなることを心配し外部コーチとしてH田先生を私たちの剣道部に招き入れてくれました。

元国体選手の剣道指導者

H田先生は他校の体育教師として勤務されており、その中学校では剣道部がないため私たちの指導を引き受けてくれたそうです。

H田先生は剣道が盛んな九州の出身で学生時代は国体にも出場した経歴を持ち、初めて先生と地稽古をしたときには今まで自分がしてきた剣道とはいったい何だったのかと考えさせられるほど打ち込まれた記憶があります。

当時の私は他の剣道部員に比べて身長が高く、体格もがっしりしていました。その一方で気が小さく、「蚤の心臓」と評されるほどでした。そんな私に対してH田先生は剣道を通じて自信をつけさせてくれました。

中学剣道から突きを取り入れる

私たちの剣道部には中学から剣道を始めた者しかおらず、H田先生はまず初心に立ち返るように基礎的な指導をしてくださりました。

中学剣道では面、小手、胴が有効打突として認められるのでそれまで私たちは面、小手、胴しか練習してきてません。

しかし、H田先生はそれらに突きも加えて基本的な剣道の打突を教えてくれました。突きをする体さばきが剣道の基本的な動きに位置づくとの考えがあったからです。

当時の私たちは突きが怖くて仕方なく互いに遠慮し合って打っていました。そのことにH田先生は腹を立て「恐怖を乗り越えて稽古することに意味がある」と常日頃おっしゃっていました。

突きの稽古に加えて体力を養成するために掛かり稽古や打ち込み、追い込みをH田先生は練習メニューに加えて私たちを鍛えました。

さらに先生自身の人脈を通じて強豪高校への出稽古にも私たちを連れて行ってくださり、追い込むだけでなく剣道観を広げる指導もしてくださいました。

一対一の掛かり稽古による厳しい指導

いちばん辛かった稽古は先生との一対一で行う掛かり稽古で、先生が止めというまで延々と打ち込む内容でした。

H田先生は特に気が小さい私を鍛えるため他の剣道部員に比べて長い時間打ち込ませていた記憶があります。

前監督とH田先生の違いは厳しさもそうですが、防具を着けて実際に生徒と竹刀を交える点が大きかったと思います。

鬼監督の涙

中学3年生になった私たちも中学最後の大会に臨むときがきました。厳しい稽古に耐えてきた私たちはなんとか県大会を懸ける強豪中学校との試合まで駒を進めました。

H田先生の指導を受ける以前の私たちなら相手が怖くて委縮した試合しかできなかったと思います。しかし、試合前にH田先生から、

「お前たちは俺を相手に今まで稽古をしてきた。俺より怖いやつがいるか。」

と私たちを鼓舞してくださいました。

試合は先鋒から副将まで引き分けが続き、大将の私に勝敗が懸かる展開に。

結果、私は相手の大将に打ち勝ち目標としていた県大会への出場権を獲得したのです。

もちろん私たちは喜びましたが、なにより喜んでくれたのはH田先生で、「よく俺の指導についてきてくれた」と涙を流すほどでした。

その瞬間今まで恐怖の対象でしかなかった先生がどれだけ私たちのことを想って稽古をつけてくれたか痛感して、先生とともに嬉し涙を流したのは良い思い出です。

やさしさだけでは教えられることに限界がある。心を鬼にして情熱を注ぐことがどれだけ大変で大切なのかが分かった瞬間でした。

恐怖から逃げずに立ち向かうことが花を咲かせるには欠かせないことをH田先生から教わった気がします。

H田先生の影響で中学卒業後も剣道を続ける部員が大半で、成人した現在でも当時の剣道部員と集まって稽古をしています。