1998年12月29日、私は当時在籍していたボクシングジムでプロのライセンスを取るために練習をしていました。
いつもは練習後にジムの先輩や同僚たちとご飯を食べてからゆっくり家に帰宅しますがこの日は皆一様に家に帰りました。今夜は長らくボクシング界を牽引してきた辰吉丈一郎の世界タイトル防衛戦が行われるからです。
90年代に現れた天才ボクサー辰吉丈一郎
ボクシングの世界では何年かに一度天才と呼ばれる逸材が現れる。黄金のバンタムと言われたエデルジョフレを破り、2階級制覇を達成したファイティング原田、13回連続防衛を達成した具志堅用高、そして90年代に現れた天才ボクサーがこの辰吉丈一郎である。
アマチュアでは怪童と呼ばれ、プロデビューから当時国内最速となる4戦目での日本タイトル奪取、またやはり当時国内最速となる8戦目での世界タイトル奪取、その後は網膜裂溝や網膜剥離に見舞われるも奇跡的に復活し常にボクシング界を盛り上げてきた男辰吉。
そんな彼が世界戦3連敗を乗り越えてタイのシリモンコンを破り自身3度目の王座に就いたのが97年の11月のことだった。
それから3月と8月に行われた防衛戦はいずれも判定勝ちとなり、KOにこだわる辰吉としては歯がゆい結果となりそろそろKOがほしいと本人も含めファンもそれを望んでいた。
辰吉丈一郎の対戦相手はタイのウィラポン
そんな中で迎えた3度目の防衛戦。挑戦者はタイのウィラポン。
ウィラポンは10歳でムエタイデビューを果たし3階級制覇を達成してボクシングに転向してきたいわばムエタイエリートである。
辰吉よりさらに早いデビュー4戦目で世界タイトルを獲得するも初防衛戦でガーナの古豪ナナコナドゥにKO負けを喫してタイトルを奪われた。その後地道にノンタイトル戦をこなしようやく巡ってきたチャンスである。
辰吉丈一郎vsウィラポンの試合展開
この試合は入場から波乱含みだった。
最初に入場してきた挑戦者ウィラポンは観客に揉みくちゃにされリング下に辿り着くのもひと苦労だった。
そして精神を落ち着かせるためにリングに上がる前に精神統一をおこなったのだがその時間約二分。その後ブルースリーの死亡遊戯の音楽にのって入場してくる辰吉、選手紹介が終わりいよいよゴングというところで今度はウィラポン陣営のセコンドがリングから降りずいつまでたっても試合が開始できなかった。
レフリーの注意でようやくセコンドがリング外に出てやっとここでゴングが鳴った。
様子見から始まった序盤の攻防
1Rが始まる。
いつものように辰吉は軽快に左ジャブを打っていく、長い辰吉のキャリアで1RKO勝ちは実は1度もない、
辰吉は序盤を自分のコンディションチェックや相手のパンチを見極めるラウンドに使っているのであろう。
この日もジャブをレーダーのように使いながら仕掛けていく。
一方のウィラポンは試合前のインタビューで「得意なパンチは左ジャブ」と公言していたように実にシャープでキレのあるジャブを打つ、がそれほど手数は多くなく彼もまた様子見をしている感じだ。
ラウンド中盤に挑戦者の右フックが辰吉にヒット、一瞬王者の膝が揺れる。
2Rは序盤から辰吉が出る。ジャブとボディーを打ちながらドンドン前進してプレッシャーを強めていく。
長い腕からムチのようにしなる左のボディーブローは辰吉の得意のパンチの1つでもある。このボディーを回転の速い連打の中に織り交ぜて繰り出すことでKOを築いてきた辰吉。
しかしそれを冷静にブロックしながら対処するウィラポン。ここまでのこのタイ人に対する印象は冷静なボクサーである。
タイからやってきた30歳の挑戦者は「負ければ引退する」と試合前から言っていたがそういった気負いは感じられない。
3Rそして4Rとややウィラポンが優勢に進めていく。ビックパンチはなかったがウィラポンの的確な左ジャブと時折放ついきなりの右ストレートが確実に辰吉の顔を捉えていく。
デビュー以来初となる効かされてのダウン!
5Rは決定的なラウンドとなった、ウィラポンのパンチがさらに的確に王者の顔にヒットしていく、これまでのラウンドのダメージが蓄積されてるのがよくわかる。
そしてウィラポンはこの時には完全に辰吉のパンチを見切っていた、王者のパンチはほとんどあたらない。
だんだんと場内もただならぬ雰囲気になっていく、観客やセコンドも辰吉の劣勢を肌で感じ始めたのであろう。挑戦者自身も手ごたえを感じてかこのラウンド終了時に両手を高々と上げてアピールしていた。
そしてむかえた6ラウンド。
それぞれのセコンド陣の言葉にこの試合の優劣が明白に表れていた
ウィラポン陣営は「今のままでいい直すところはなにもない」と言って送り出したのに対し、辰吉陣営の菅谷トレーナーは「相手のペースになりかかってるぞ」と激を飛ばした。
辰吉コールも局面の挽回にはならずに挑戦者はドンドンパンチをヒットさせていく。そして2分20秒すぎ、ロングの引っ掛けるような左フックで辰吉がついにダウン。
デビュー2戦目以来のダウンである、しかも2戦目の時はタイミングで倒れただけでダメージはなかった、効かされてのダウンはデビュー以来初めてのことである。
すぐに立ち上がりファイティングポーズをとる辰吉。再開されるとすかさずウィラポンは連打で畳み掛ける。
右、左と左右のストレートフックをもらい続けるチャンピオン、そしてレフリーがストップするのとほぼ同時に辰吉はリングに大の字に沈んでいった。
この時別のカメラでとらえていた辰吉夫人の映像でるみ夫人は悲鳴をあげて泣き崩れていた、そして場内で見ていた観客もまた悲鳴に似たどよめきがそこら中にこだましていた、それほどショッキングなKO劇であった。
ウィラポンが強いのか?辰吉が衰えたのか?
私はこの試合のあとしばらく呆然として動けなかった。そしてふと我に返った時はウィラポンの勝利者インタビューも終わったころであった。
「果たして辰吉が衰えたのか、それともウィラポンが強かったのか?」こんな疑問が自分の中に芽生えてくる。
この私の疑問がどちらも正しかったことはこの試合から何年もの時が流れたある日に証明された。
ウィラポンは結局この世界タイトルを6年3か月にわたり14度防衛する名チャンピオンとなった。
そして引退後のあるインタビューでこう語っている。
「辰吉が私と戦った時、彼はもうピークを過ぎていた、全盛期だったらやはり1番強かったのは辰吉だった」
そして90年代のボクシング界を引っ張ってきた辰吉はこの試合から8か月後のウィラポンとの再選にも敗れ1度引退するもカムバック、元世界チャンピオンのセーンソープロエンチットに勝つなど全盛期を彷彿とさせる活躍を見せる。
しかし、やはり衰えは隠せず2009年3月に格下の選手に敗れリングを降りた。
50歳をすぎた今でもトレーニングはかかさずしているという。リングの上でこそ輝ける男。ボクサー辰吉はいつまでも辰吉である。
(文・takito)