新日本プロレスから伝説の初代タイガーマスクが消えて10年経っていた。ライバル団体では2代目のタイガーマスクもデビューしていたが、僕には全く受け付けることが出来なかった。
佐山サトルのタイガーマスクは僕の神であり、プロレス界への伝道師である。たくさんの覆面レスラーを見たが、どの選手もタイガーマスクになれなかった。当たり前の話である。誰でも神になれるわけではない。
しかし僕のプロレス熱は冷めることはなく、タイガーマスクからアントニオ猪木を神の代理にしていく。僕にとって新日本プロレスは信仰団体であった。その20周年を迎えた日、会社の命令で神をコピーした若者がいた。
金本浩二の三代目タイガーマスクへの期待
僕は社会人生活を満喫していた。学生時代よりは金銭に余裕もあり、車も持っていたために行動範囲も広くなっていた。
プロレス興行が来ると少々遠方地でも観戦に行っていた。もう学生時代のプロレスを通じた友人は誰もおらず、当時付き合っていた彼女をプロレス会場に連れまわしていた。まさしく宗教の押し売りだった。
その試合はテレビで観戦した。僕の元祖の神、佐山サトルのコピーを金本浩二という青年が行う。金本の試合は雑誌以外では見たことがなかったが、蹴りを使う点は佐山サトルの動きに似ていた。
もちろん写真上のことである。10年ぶりにタイガーマスクが新日本プロレスに帰ってくる!コピーとはいえ神降臨の気分であった。もしかしたら、僕の心の穴をふさいでくれる存在になってくれるのではという期待があった。
三代目タイガーマスクvsエル・サムライ
新日本プロレス20周年超戦士IN横浜アリーナが開幕。このイベントは往年のレスラーが復帰するメモリアルマッチとして行われた。
金本浩二が扮するタイガーマスクの相手はエル・サムライという謎の覆面レスラーだった。初代タイガーマスクと同じコスチュームで金本はコーナーポストに立った。少々ガニ股気味だった。あと残念ながらマスクの型が合っておらず目や鼻の位置をしきりに気にしていた。
しかし、全日本プロレスのタイガーマスクよりはるかに初代に近かった。僕は新日本プロレスのリングにタイガーマスクが上がっているという現実で涙が出そうになった。
ゴングがなり、リング上は照明が落とされ薄く青いノスタルジーを感じさせるセピア風な照明が当てられた。会場内は「おおー」と歓声が起きた。走馬灯のような雰囲気がある。
タイガーマスクは華麗な動きをする、いやコピーを演じる。僕は、「似ている!」と合格点だ。エル・サムライが場外へ落ちたときのロープワークなどは初代タイガーマスクを彷彿とさせた。
会場内はヤンヤの歓声である、マニアでなければ佐山サトルと間違えてしまう動きだ。スイングしながらの足への攻撃も酷似している。コピーの一つ一つに拍手が起きる。たしかに技の一つ一つは似ている。
しかし試合が進むにつれ、コピーのメッキが次々と剥がれていった。当時大人気だった物まね番組なら90点は付く。でもこれはプロレスの試合だ。徐々にエル・サムライの動きが良くなってくる。それまではただコピーの技を受けていただけのことである。
たんたんとエル・サムライがペースをつかみはじめた。やはり上手い選手だ。結局最後は、エル・サムライのスープレックスにより敗退し、走馬灯の幻影は終わった。一夜限りの夢だった。
しかし、コブラや三沢タイガー、他の覆面レスラーよりずっと期待の出来る内容だった。録画したビデオを何度も何度もみていると、本当に金本青年が佐山サトルの動きを研究していることが分かった。この試合はおおむねファンからも高評価され、その後も金本浩二は限定的にタイガーマスクとして出場することになった。
金本浩二、タイガーマスクの重圧を語る
初代タイガーマスクからプロレスの魅力を見せつけられ、佐山サトルが僕の中で神化した。その佐山のコピーを演じ一定の評価を得た金本浩二には好感をもった。
このままタイガーマスクを続けて欲しいなと思ったくらいだ。やはり、僕のプロレス人生には、タイガーマスクが必要だった。
しかし、金本浩二にとってタイガーマスクをコピーするという行為は次第に重圧へと変っていく。
金本は当時のエピソードについて自身のユーチューブチャンネルで語っている。金本と初代タイガーの出会いは中学生のとき。ダイナマイトキッドとの試合をビデオで10回以上見たという。
後に、1年間体育の非常勤をしてからプロレスラーの道に入った金本は、まだ1年目、2年目の若手だった頃、新日本プロレス20周年でタイガーマスクを被ることになる。「初代が偉大すぎるから、それをコピーしないとあかんなーと思った」という。
「高校生の頃に柔道場でタイガーマスクの真似をしていて、それを披露しただけ」とのことだが、これが上手くはまり、上層部から「ずっと被れ」と言われたそうだ。普段は素顔で戦いたいという本人の希望は受け入れられなかった…。
「二番煎じ、三番煎じはダメですよ。違うことを一番にやること!」と力説する金本。マニアを納得させるほど巧みに初代タイガーをコピーした本人の言葉だけに重みがある。
金本青年はメキシコ遠征に旅立ち、トラに似た「キング・リー」というマスクマンになり、平成5年に帰国し正式にタイガーマスクとなった。しかし佐山サトルの十字架を背負った彼は、悩み、もがき、どんどん自我を失っていった。試合も殺伐として完全にヒール化してしまい、結局翌年マスクと決別してしまう。
虎のマスクはもう呪われたアイテムになっていた。当時、僕はもう2度とタイガーマスクを出さないで欲しいと願った。
(文・GO)