佐竹雅昭を再評価!空手家目線でスタン・ザ・マン戦を見返してみた

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私が格闘技に興味を持ち、実際に始めたのは社会人になってすぐの頃、二十歳になるかならないかの年です。

中学時代に柔道をしていたとはいえ、高校時代は格闘技をやってみようとまでは思っていませんでした。

それが就職した社内で、どうも見た目が小柄なせいか元々決して強そうには見えない自分は、ちょっと意地の悪い先輩方には格好の標的に見えたらしく、小突くとか、ネチネチと誹謗中傷するといった、いわゆるイジメの対象にされてしまいました。

(このままナメられっぱなしで終われるか)

極真空手を始めても職場でバカにされる

そういう訳で先ず門を叩いた極真空手。90年代初頭はK-1で正道会館が名を売り始めていた時で、そのせいもあってか、どうせやるなら実戦空手、と迷わず選んだ格闘技でした。

ただ最初は職場で友人たちにすらバカにされました。

「お前みたいなヤツが空手?止めとけよ(小馬鹿にした笑)」

「そんな小柄なのに強くなるって? 無理ムリ、なれっこねーよ」

などと言われながらも、今に見てろよと思い道場に通っていた、ちょうどそんな時でした。

K-1ブームの中で見た佐竹雅昭vsスタン・ザ・マン

ただ一人自分の道場通いを応援してくれていた親友が、当時発売されたばかりの格闘技の試合のビデオを見せてくれました。彼も正道会館にハマっていた一人です。

そのビデオとは1993年9月4日、日本武道館で行われた、佐竹雅昭vsスタン・ザ・マンの対戦でした。

佐竹雅昭といえば日本の格闘技界(特にヘビー級)の歴史を語る上で欠かせない功労者であり、日本の格闘技がここまで盛り上がる下地を創った立役者です。

その佐竹の「初期のベストバウト」として今なお名高い試合。しかも相手は当時、ヘビー級では小柄ながらその強打に定評があり「キック界のタイソン」とも呼ばれていた、スタン・ザ・マン。

試合結果から申し上げれば、3-0の大差で佐竹の判定勝利。この試合には、スタンの持つWKBA世界スーパーヘビー級タイトルもかかっていたはずでしたが、WKBA側が「WKBAルールではない」という理由でタイトルの移動を認めませんでした。

実はこの記事を書くにあたり、改めてYouTubeでこの試合を再度見直してみました。何しろもう二十年以上も前の記憶なので、記事にするには一度曖昧な記憶を整理する必要がありました。

初期の佐竹雅昭のボクシング技術

当時はただ「佐竹ってやっぱり強い」としか思わずに、ファン感覚全開でしか見ていなかった覚えがありました。しかし、武道経験を積んで経た年数分だけ、それなりに目の肥えた自分なら当時とは受ける印象も異なるはずです。

先ず目を引いたのは、何といっても佐竹雅昭の素晴らしいボクシング・テクニック。上下左右、上中下且つ左右のキックも交えて、スタンに注意どころを見事に絞らせていない。

この時期は、映像でも映っている元WBA世界ジュニア・ウェルター級チャンプにして名トレーナーとしても名高い、当時正道会館内でボクシングの指導にも当たっていた平仲明信氏に指導を受けていた頃です。

後年の引退間際の頃には、残念ながらこの頃見せていたようなボクシング技術は影を潜め、すっかり駄々っ子のような見るに堪えない酷い試合になってしまっていました。

佐竹のジャブは刻み突き?

特に自分が強調したいのは、佐竹の左リードパンチ、つまりジャブです。

試合中セコンドについていた平仲氏からしきりに「左、ひだり」と声が飛んでいるとおり、確かにスタンに比べて、佐竹は左をそれほどは出していない。せいぜいスタンの半分程度ではあったでしょう。

しかし佐竹の左ジャブ、これは実はただのジャブに非ず。実は佐竹はジャブを打つ時はほぼ例外なく、前に一歩出ながら出している。これが意味するもの、それは「ああ、やっぱり佐竹は空手家なんだなあ」という事です。

どういう事かというと、空手の左、伝統派空手でいう「刻み突き」は必ず一歩踏み込みながら出すからです。ボクシングやキックのパンチのようなハンドスピードはないかも知れないですが、それを補って余りある伸びがあります。

伝統派空手の「刻み」の初速はあらゆる格闘技中トップクラスだという説もあります。

そしてその「刻み」、伝統派とフルコンの違いこそあれど、佐竹の左ジャブは紛れもなく「刻み」になっている。曲りなりにもフルコンと伝統派の両方を経験した自分には、すぐに分かりました。

しかも空手の「刻み」は左とはいえ、先ほども申し上げたように一歩出ながら出すので威力がある。それこそKOも狙えるほどです。

佐竹雅昭vsスタン・ザ・マンの試合でも3R途中に、佐竹の左ジャブ(刻み突き)がスタンの顔面を捉えた瞬間があります。たかが左一発入っただけだろ?と思うかも知れません。

ところが、この一発にこそ勝敗を分けた重要な意味があったのだ、と自分はそう確信しました。確かにこの後佐竹は互角以上に試合を進め、得意のローキックを何発もスタンに浴びせている、それこそ画面を通してみてもはっきり分かるほどスタンの腿が腫れ上がるくらいに。

ですが勝負を分けたのは佐竹のローではなく、左にあった。佐竹の空手家としての左が、大差の判定勝ちをもたらした。自分にはそう見えました。元々が空手出身の身として、改めて見直しても嬉しくなりました。やっぱり空手は強いと。

佐竹雅昭の影響でローキックを練習

佐竹雅昭vsスタン・ザ・マンの試合をほぼリアルタイムで見た90年代に話しを戻しましょう。

実は当時の自分は佐竹の左よりも、その芸術的なローキックに魅了されていました。最初に見た時から、

(大柄な外国人相手に、凄い。こんな強いのが日本人にもいるのか)

(日本人の格闘センスも、捨てたモンじゃないな)

と、その強さにも釘付けでした。

ついでに言わせてもらえば、後年K-1が盛り上がってきてからファンになったにわか格闘技ファンが、勝てなくなってきた佐竹を見て「何だ、佐竹って弱いじゃん」などとしたり顔して言ってるような輩とはファン歴が違う、という思いがあります。

ただスタン・ザ・マンとの試合を見るまでは、自分はローキックという蹴り技を、馬鹿にしていました。その効果の程を、見た目の地味さを。

その認識を一変させてくれたのが、この佐竹雅昭vsスタン・ザ・マンの試合映像でした。

この日以来、自分は教わりたてのローキックの練習を、嫌がることなくするようになりました。その甲斐あってか、ある日のことです。

炸裂!会社でローキック

会社でいつも自分を馬鹿にしていた先輩が、

「どれ、空手がどれだけ上達したか見てやるよ。試しにちょっと蹴ってみろ」

と例の如くバカにしたように言い、自分の前に仁王立ちになったのです。

それなら遠慮なく、という訳で一切脱力した状態から思い切りお見舞いしてやりました。覚えたてのローキックを。無論日頃の恨みというヤツで、手加減なんかしてません。チャンスだとしか思ってなかったですね。

今でもはっきり覚えてますが、我ながらビックリするくらいの乾いた音が響いた瞬間、先輩は呻き声を上げながら膝から崩れて立てなくなっていました。

その時の先輩の、激痛と驚愕に歪んだ表情と、明らかに恐怖していると分かる怯え切った目は忘れられません。

本当は勢いあまったふりして、さらに追い打ちかけようかとも、少しだけ思ってましたが、その顔を見て止めました。なんだ、この人この程度だったのかよと思ったらその気が失せたからです。

次の日から、自分にちょっかいを出す人間が会社にいなくなったことは言うまでもありません。

ちなみに誤解のないように言っておきますが、道場以外で人を蹴ったのは、後にも先にもこの時だけです。

ローキックに関していえば結局この一年ほど後、伝統派空手の道場に移ったため、今に至るも使うことはなくなりました。

しかし、佐竹雅昭vsスタン・ザ・マンの試合はローキックの有用性を自分に気づかせてくれたと、自分は今でも思っていますし、佐竹選手に感謝もしています。

(文・十九川寛章(とくがわひろあき))

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