初のボクシング観戦で身近な選手が初黒星…敗戦が心に残る理由

ボクシングはテレビで見るのと実際に会場に足を運んで見るのとでは迫力がまるで違う。

そして、有名選手の試合を見るのと、多少なりとも身近に感じている選手の試合を見るのとではこちらの感情の動きも随分変わるようだ。

とくに順風満帆に見えた選手が破れ、ショックを受けているのを近くで見た場合には……。

選手本人から買ったチケットでボクシング観戦へ

初黒星だった。プロボクサーとしてデビューしてから2年、新人王を制した期待の新星であるそのボクサーはスターダムを上り続け、その先の道を見据えていた。

試合後、煌々と照らされるリングの内側からロープをくぐり後楽園ホールの南側に向かって彼は一礼すると、しまい込んでいた感情があふれ、コーナーから客席に続く道が涙でにじんで行く先が見えなくなった。

私がその試合を観たのは大学院に通いながらフリーランスで活動している頃で、そろそろ修了とともに常勤の仕事に就く覚悟を迫られていながらどこか猶予を抱え続けていた。

以前、友人に誘われて観戦したプロボクシングの熱狂が冷めやまず、自分でもなにかを変えたかったのか、運動経験など皆無に等しいのに近所のボクシングジムに入会したのもこの頃だった。

折角観戦するのであれば応援する選手を見つけたいと考え、目に留まったのがこのボクサーだった。ボクシングでは観戦チケットを選手本人から買うことも多く、ダイレクトに選手のポケットマネーになる。

そこで私は早速本人と会うことになった。握手とともに手渡されたそのチケットをたずさえて当日会場に臨んだが、試合が終わり、本人の涙を目の当たりにした私は重い苦しみを抱くことになり、きりきりと胸を絞めつけられた。

有望選手の初黒星

試合は全8R、相手は1~2戦キャリアが上だが勝敗の予想は割れ、むしろやや彼が上回っていた。序盤から激しい打ち合いになったが、持ち前の足さばきで試合をコントロールし、場の空気に飲み込まれることなくRを進んでいった。

そして4R、彼の動きが突然淀んだ。右目にヒットした相手の拳が彼の視力を奪ったのだ。後から知ったことだが、この時、彼には相手が3人いるように見えていたという。

途中ロープを背負うことになり膝が折れかけてもダウンを奪われることなく耐え続けた。激しい展開が続いたにも関わらず両者ともにダウンすることはなく、判定に持ち込まれた。結果、判定を制したのは彼ではなく相手選手だった。

両者の試合は会場のボルテージを最高潮に高め、メインイベントへ熱気をバトンタッチすることに成功した。プロ選手としての役割をともに果たしたといえるだろう。観衆が激闘に拍手を送り、そして私は胸にたぎる労いの思いを伝えようと、全力で彼の名を叫んだ。

この時の歓声がどう聞こえたのか、はたまた届いているのか、それはあの場にいたひとりひとり、それぞれだろう。相手に軍配が上がってからロープをくぐり、深々と一礼をしてリングを降りるまで、彼にはどう聞こえていたのだろう。

敗れたボクサーのその後

あれから4年の時が経つ。あの試合の翌々年、私はついに常勤の職に就くことになり、諸々覚悟を決めて今後の歩む道が定まったかのように思えたが、職場でのストレスにより病気を患い、その後も治療と復職を並行してきた。

3年目を迎えた年に療養に専念するために退職することになった。それに伴い、細々とではあるが楽しみだったジム通いも無理が出始め、退会してしまった。隙間の空いた窓から見えるジムの内装を横目に月日が通り過ぎていったある日、ひょんなことでインストラクターさんに連絡を取ってみた。

あの日初黒星を迎えることになった彼は今も選手生活を続けていた。しかし、すべてが順調なわけではなく、挑んだ試合がことごとく流れたり、怪我に泣かされ続けたりした時もあったそうだ。

敗れた試合が心に残り続ける理由

あれから彼の試合を含め年に数回、会場に足を運び続けており、その中には大きなタイトル戦も含まれる。

しかし、今でも最も私の心に深く情動を刻み込んだのは敗れた試合での彼の雄姿だった。

私自身、思い描いていた目標への道を見失いかけたとき、あのときの試合を思い出しては考えを巡らせている。

生きるためには先を見据えて歩みを続けることも大切なのだろう。しかし、進む先が分からなくなって立ち止まるということもまた、投げ出すことなく耐え続けるという静かなる奮闘のかたちだ、私はそう思うことにした。

生きることは不確かさの連続である。答えがあるようでなかなか見つからなかったり、もしかしたらずっと見つからないかもしれない。もしあの時マットに膝をついていたら、もしあの時他の研究所に就職していたら、そんな問いでさえ正誤の程は霧の中なのだ。

そうだとしても、自分がこれまで大切にしてきたものや、これから大切にしていきたいものを細々とでも放棄せず、何に自分が喜びや楽しみを覚えてきたのかは問い続けることは可能であり、一歩先を見出す手掛かりにはなってくれるように感じている。

彼と最近話した中では、「楽しいことをいっぱいやろう」という結論に、ざっくりと至っている。

2020年春、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言を発令し、その後全面解除となるも、依然としてボクシングの興行は開催が不安定なままである。

それでも彼の所属するジムは今も様々に対策を巡らしながら、選手たちが練習にいそしんでいる。かたや、この事態を受けて引退という選択をした選手がプロボクシング界に多くいるのもまた事実である。

彼らは戦う場所をリングからそれぞれのフィールドに移したのだ。私たちがこれまでになかった生き方を、このコロナ渦で大小さまざまに強いられることになったのは確かだ。この先迎えることになるこれまでにない生き方は自らが選び、自らの楽しみを見出していけるようにしたいと思う。

(文・じーなか)