2000年8月、評価の高かったWBC世界フライ級王者、マルコム・ツニャカオ(フィリピン)に挑戦したセレス小林。
この試合は惜しくも引き分けで終わり、世界王座獲得とはなりませんでしたが、今後に大いに期待させる内容でした。
私自身、当時はアマチュアボクサーをしていました。親元を離れて暮らしていた大学生で、生活は苦しかったですがなんとか初めて自分で世界戦のチケットを購入。
無理をしてまで購入したチケットは、凡庸で、才能があるとはいえないこのセレス小林の世界獲得という奇跡を見るためでした。
対戦相手のレオ・ガメスとは
フライ級から1階級上げ、WBA世界スーパーフライ級王者、レオ・ガメスに挑戦したセレス小林。ガメスはミニマム級からライトフライ、フライ、スーパーフライと4階級を制覇した名王者です。
1980年代後半から活躍する息の長いボクサーであり、日本人との対戦で来日経験も多い老雄。前戦で戸高秀樹(緑)の顎を割り7RTKOで4階級制覇を成し遂げていました。
セレス小林vsレオ・ガメスの試合展開
果たして試合は、リーチに勝るセレス小林がどっしりと構えてジャブを突き、左ストレートを上下に打ち分け、優位に立ちます。
ガメスも負けじとハードパンチを振り回しますが、セレスは冷静にディフェンスし、ペースを渡す事はありません。
キビキビと動くセレスをガメスは捕まえられず、いたずらにスタミナをロスしていく展開ではありますが、ガメスのパンチはまだ警戒に値します。
セレス、ガメスの一進一退の攻防
セレス優位で迎えた5R、ガメスがチャージ。セレスはロープにつまり、打ち返すもこれまでのラウンドのようにいきません。セレスはこの回、やや劣勢にたち、終盤にはガメスの右がヒットし、わずかにセレスは効いたように見えました。
続く6Rは、セレス小林にとって勝負のラウンドだったと思います。勢いづくガメス、迎え撃つセレス。このラウンド、意地を見せたセレスは、左ストレートをヒット!流れをまた引き戻しました。
そしてここで心を折られたのか、ペースダウンしていく王者、ガメス。セレスはこの機を逃さず、パンチをまとめ、時に冷静に守り、徐々にガメスを削っていきます。
セレス小林が世界王者に!
そして迎えた10R、ガメスの猛攻をしのいだセレスは、反撃の連打。ここでセレスの左フックがガメスにカウンター気味にヒット!タフなガメスもたまらずダウン!
ここは立ち上がったガメスでしたが、続くセレスのラッシュにさらされ、そのままストップ。
セレス小林が、念願を叶え、見事世界王者になった瞬間でした。
努力の天才!セレス小林というボクサー
セレス小林は、ジムに入門した際、歩き方から注意されるほどの運動音痴だったと聞きます。デビュー戦も判定負け、新人王戦でもトーナメントの途中で負け、日本王座は3度目の挑戦でようやく獲得。
当時、世界王者になれるようなボクサーは、世界挑戦までは無敗で上がっていくのが一般的でした。戦前、30戦して23勝(13KO)4敗3分という戦績のセレス小林は、くすぶっているボクサーたちの大きな道標となったと思います。
挑戦しつづければ夢は叶う。
スピードがなくても、パワーがなくても、センスがなくても、特別な運動能力がなくても、自ら考え、血の滲むような努力をすれば、誰しもが世界で一番になれる、そう教えてくれたような気がしました。
現在はセレスボクシングスポーツジムを主催
このあと、セレス小林はヘスス・ロハス(ベネズエラ)を降し初防衛に成功、2度目の防衛戦で当時21戦全勝全KOを誇った怪物、アレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)を迎えます。
この2度めの防衛戦で若きムニョスの前に8RTKOで散り、その後に引退。
現在はセレスボクシングスポーツジムを主催し、生え抜きの岩佐亮佑を見事世界王者に育て上げました。
現役当時からインテリジェンスが高く、そのボクシングIQで自身の運動能力のなさを補い、現在はジム経営、トレーナー業とともに日本テレビで放映されているダイナミックグローブで解説者としても活躍しています。
まさに努力の天才といえるセレス小林。私はこのボクサーを忘れられません。