対戦相手は世界三位!スポーツチャンバラ「かばい手」からの攻防

あれはまだ私が20代半ば、スポーツチャンバラの教室を当時の師匠から任されたばかりの頃、1998年のことです。

先年に県大会でベスト4入りしていた私はその年の県大会、曲がりなりにも実力的に優勝候補の一人と目されていました(どうもそのようです。自分では全然そう思ってませんでしたが)。

ところが蓋を開けてみれば1回戦敗退の体たらく、しかも教え子の小学生にまで「先生って、弱い」とバカにされてしまい、かといって言い訳もできず、失意と悔しさに満ちた日々を過ごしていたちょうどその時でした。

隣県の知り合いの師範の先生から、「我が県の県大会に招待するから、試合に出てみない?」とのお誘いをいただいたのです。

当然、私は燃えました。雪辱に、何よりも汚名挽回にまたとない機会を思ったより早く与えられた。そのことが嬉しくもありました。

「ウチの子どもたちも連れて行ってもいいですか?」

条件提示変わりに二つ返事でOKし、血が沸き立つ思いで出場を決めたのです。

スポーツチャンバラの対戦相手は世界三位

スポーツチャンバラの大会は地方では多くの場合「師範戦」といって、「師範」や「師範代」、「インストラクター」の資格を有する、いわゆる「先生」たちによる小太刀の模範試合で幕を開けます。今はどうだか知りませんが当時はそうでした。

その大会の師範戦、二回戦で私が対戦したのが当時某地方都市にて教室を開いておられたF先生。世界大会で三位になったこともある実力者でした。

以前から見知っていて、何度となく練習等で手を合わせたことはあったのですが、そこは世界三位。練習では勝った記憶はほとんどなく、「とにかく強い人」というイメージしかありません。

(こりゃあいきなり、強敵が出てきたものだ)

えらいことになった、とは思いましたが、勝とうと思えばそうも言ってはいられません。もとより優勝しようと思うなら、全員に勝つしかない。

(なにくそ、同じ人間ではないか。ビビるな)

自分を奮い立たせつつ、試合に臨みました。

スポーツチャンバラの「かばい手」ルール

さても試合は一進一退、互角の攻防でした。傍で見ていた人たちにはそう見えたかも知れません。

けれど私自身はというと、とにかく必死でした。何しろがこちらが何をしても悠々と余裕で防がれて、一つ一つ全て、上を行かれる感覚だったからです。

かと言って私のほうは、相手の攻撃を必死で防ぐだけでも精一杯。まさに無我夢中で、歯噛みする思いで戦っていました。

そうこうする内に、私の一太刀をF先生が左手で受け止めて防ぎ、審判の先生がすかさず試合を止めて「かばい手」と宣告しました。

「かばい手」とは、基本的には体中のどこを打っても一本になるスポーツチャンバラにおいて、武器を持っていない方の手で相手の攻撃を防いだ場合に適用されるルールです。

この場合は一本ではなく、「腕一本犠牲にして身を守った」ことになり、もしも「かばい手」をしつつ相手の体をどこかしら打てば、それはそれで一本になります。

もちろんその後、その試合が終わるまでその打たれた手は使えなくなるため、使用できるのは一回きりではありますが。一度「かばい手」を使ったら、その手はシャツやベルトにはさんでおき、もしも出してしまうと反則にもなります。

再開までのわずかな時間に考えたこと

で、私が相手から「かばい手」を取ったことで、見ていた人たちは私が有利になったと思ったことでしょう。ところがどっこい、私は(しまった)という、逆に自分がピンチに陥った気分でした。

何故かと言うと、F先生の恐ろしさはむしろ追い込まれてからだ、と知っていたからです。

経緯まではよく覚えていないのですが、審判から「一旦、再度開始線へ」と言われ、開始線に戻るまでのわずかな時間、私は必死に考えました。

(どうする?これ以上は持ちこたえられない。実力差を埋めるための奮闘で、やれることは全部やったし打てる手は全部打った。だが、そのどれも通用しなかった。はっきり言ってもはや、お手上げだ。ここまで曲りなりにも互角にやれたのは運が良かっただけ、普段の俺なら十秒でヤラレて…、ン?!)

そうか、運だけなら、互角というわけか。よし、ならばという訳で、

(こうなったらもう、考えても仕方ない。次の再開の合図と同時の一太刀に全てを賭ける。当たれば儲けもの、外れたらその時はもう、知ったことじゃない。出たとこ勝負だ)

開始線に戻ったその時にはもう、そう決心していました。

速攻

「両者、構えて…」

審判の合図の声を聞きながら、私が胸中で呪文のように繰り返していたのは、

(一度、勝機は一度!!チャンスは、一瞬!!!)

「始め!!」と、声がかかった瞬間、躊躇うことなく出した一太刀。

「突きーーーっ!!」

と叫んだつもりでしたが、はたして声になっていたかどうか、覚えていません。

確かなのは突きを繰りだしつつ踏み込んだ私と、F先生とが密着に近いほど接近した状態になっていたこと。瞬間、

「ようし、突きあり一本!勝負あり!!」

の声が上がり、自分の手元に手応えがなかったため、F先生に尋ねていました。

「今の、入ってましたか?」

「サムライスポーツ」と呼ばれる理由

実はスポーツチャンバラは別名、「サムライスポーツ」というキャッチコピーがあり、そこに求められるのは、潔さと正直さと素直さ。

打たれた、負けたと思えば素直にそれを認め相手を称える。それにこそ美徳や大義があり、勝負の後は清々しい気分になれる。本当に意味があり、魅力ある部分です。

私の質問にF先生は、さすが強豪らしい潔さで即答して下さいました。

「ああ、文句なしに入ってましたよ。見事にやられました。」

その後、私とF先生が固い握手を交わしたのは言うまでもありません。

見ていた教え子の子どもたちと、そのご父兄の皆さんからも祝福され、見事に前回の雪辱も晴らしたのでした。

試合結果を師範に報告

この日この試合に勝利したことで最大のヤマ場を越えた私は、その後も決勝まで勝ち進み、結果として決勝で敗れはしたものの、準優勝という好成績を修めることができたのでした。

試合を終えて思ったのは、「人間必死になれば、何とかなるものなのだな」という事です。

と、いうのも実はこの大会に臨む前、出場が決まってからずっと、当時の師匠や先輩方に物凄い猛稽古をつけていただきました。

その際に呪文のように言われていたのが、

「これだけ俺らが時間つくって練習に付き合ってやってるんだから、今度は優勝してくる、というくらいの勢いで行かなきゃダメだぞ(笑)」

というものでした。

別に誰も「絶対に」なんて言った訳ではなかったのですが、当時私はまだ若く一本気で、今にして思うと馬鹿馬鹿しいかぎりなのですが、

(これで優勝して帰らなかったら、俺は、腹を切らねばならないぞ)

などと本気で思っていたのです。

どうやら完全に、自己暗示にかかっていました。

結果は準優勝だったので帰って師に報告したら、切腹するつもりになっていた。ので、先ず家に帰ってから師匠に電話しました。

「申し訳ありません。準優勝でした」と伝えたら、師に大笑いされたのを覚えています。

そして言われたのが、「優勝するぐらいのつもりで、とは言ったが、絶対に優勝しろ、とは一言もいってないよ」というものでした。

今だと笑い話ですが、一時は本気で死を覚悟して試合に臨み、決勝で敗れて本当に死ぬつもりになっていただけに、未だに心に残っています。

更にいうとこの試合の後、(俺みたいなヤツでも、やれば出来るんだな)と、私が自分の実力にある程度の自信が持てるようになったことも付記しておきたいと思います。

(文・十九川寛章(とくがわひろあき))

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