学生時代は柔道部に所属していましたが、柔道を始めたのが大学生からであったため、あまり強くはなれず、満足な結果を残すことができませんでした。
特に柔道の要である投げ技のキレが他選手と比べて劣っておりました。しかし唯一寝技だけは上達し、寝技だけなら強豪選手とも渡り合える自信がありました。
柔道からブラジリアン柔術へ
学生時代は柔道をやりつつブラジリアン柔術の道場に通い、寝技のトレーニングを行っていました。大学を卒業し、社会人となった後は、何かしら格闘技を継続したいと考えていました。
もちろん社会人になってからも柔道を練習したいと考えていましたが、柔道はどうしても怪我の発生率が高く、また現役時代も怪我に悩まされていたため練習を継続することは難しいと考えておりました。
一方で柔術は、怪我の発生リスクが格闘技の中では低いといわれており、安心して仕事と両立できるところや、定期的に大会も開催されており力試しをする環境が整っていたため柔術に転向しました。
平日の昼間は社会人として仕事をしつつ、夜は19時から23時まで4時間の練習をほぼ毎日続けておりました。
そうした中、「ディープハーフガード」が私の得意技になっていきました。
ディープハーフガードと体型の関係
私の体の特徴として、手足が短く全体的に体が丸いので、手足の長さを生かした技や、相手と距離を離して戦う戦術を使うことができません。
しかし、丸みを帯びているがゆえに、相手の体の重心の下にもぐりこんでしまえば、バランスボールのように容易に相手の体勢を崩すことができます。
そして、一度相手を崩してしまえば、スイープからのパスでポイントを重ねることができます。パスをした後は、柔道で培った押さえ込みの強さや体幹の力を活かし、相手に強いプレッシャーを与え、優位に試合運びを行うことが可能です。
こうした体の特徴を100パーセント活かすことができるのがディープハーフガードなのです。また、私の師匠がこの技の名手であったため、自然と得意技になっていきました。
ディープハーフガードの攻防とは
寝技で自分が下になっているときに、相手の片足を自分の両足で絡めている状態がハーフガードです。
ディープハーフガードはここから相手の足側に潜り込み、相手の片足に対して自分の両足・両腕でしがみついているような体勢のことを言います。
柔術のルールでは、寝業で自分が下になった体勢から相手をひっくり返して上になる(スイープ)と2ポイントが入ります。しかし、足を抜かれて抑え込まれる(パスガード)と相手に3ポイントが入ります。
なお、柔術における投げ技は、たとえ柔道の一本のような見事な投げでも2ポイントですから、いかにこの寝技の攻防に重きをおいているかが分かります。
ディープハーフガードの体勢になったら、相手のパスガードを防ぎつつスイープを狙っていきます。
ディープハーフガードで試合を有利に運ぶには
ディープハーフガードで最も重要なところは、相手との距離を開けないことです。相手と組んだ瞬間に、相手を引き込んでハーフガードの体勢にならなければなりません。
また、ここでのポイントは、相手に自分の首を抱えられてはいけないというところです。相手に首を抱えられることで、せっかく引き込めたにもかかわらず、自分の首から下が動けなくなり、相手に容易にパスをされてしまいます。
そこで、ハーフガードになった瞬間相手の股下にもぐりこむことが重要となります。ガードの形に入ってからは、相手はバランスボールに乗ったような体勢となりますので、非常に重心が取りにくい不安定な状態です。
こうなれば後は容易です。ポイントを取るために、相手を下から崩していきます。大きく分けると、相手を前方に崩す、もしくは後方に崩す、の2パターンがあります。前方に崩した場合は、しっかりと相手のパンツを持ちながら相手の動きをとめつつ、股を潜り抜けて、バックをとります。
相手が後方に崩れた場合は、そのまま立ち上がりパスを狙います。この他にも、ディープハーフガードは、それを起点として様々な技へつなげることができます。自分の得意技であるディープハーフガードの攻防に持ち込むことで、試合を有利に運ぶことができます。
ディープハーフガードの上達方法
ディープハーフガードの練習方法としては、初めに基本のディープハーフガードの形を頭と体に叩き込み、ゆっくりとしてもいいので動きができるように打ち込みを行います。
動きを意識してできるようになれば、試合を想定し意識しなくとも瞬時に技に入れるよう、素早い打ち込みを反復する練習を行います。
技が完成すれば、自分ができる他の技との組み合わせを検討し、攻撃パターンを構築していきます。そして試合に出場し、実践での動きを元に、技の再検討を行います。
実践からの再検討を繰り返すことで、強力な技へと昇華させていくことができます。この練習を続けた結果、ディープハーフガードによって地方大会で優勝することができました。
(文・クルジアに住む孤高の柔術家)