古賀稔彦への憧から寝業師への変遷…一発逆転を狙える巴十字

小学2年生の時にたまたまテレビで流れていたバルセロナオリンピックの柔道を見て衝撃を受けました。

そこに映っていたのは、現在強豪である環太平洋大学で監督をやっている、当時71Kg級のオリンピックチャンピオンの古賀稔彦選手でした。

古賀稔彦に憧れて柔道を始める

古賀選手は、平成の三四郎と呼ばれていて、背負い投げが抜群に上手だったのを今も覚えています。

自分よりも背が大きな外国人選手に対して、日本柔道である一本を取る柔道を全面に出しながら次々に撃破していきました。

しかも当時の古賀選手の膝は、手術が必要なぐらいの大怪我をしている状態でした。金メダルに対する執念や相手を倒すという気迫あふれた柔道をみて私も柔道をやりたいと思いました。

古賀選手の柔道を見たことが柔道を始めたきっかけでした。

背負い投げから寝業に、柔道スタイルの変化

小学生高学年に入るまでは、古賀選手が得意としていた背負い投げを練習しており、徐々に試合でも勝てるようになっていました。

高学年になると背が急激に伸びて背負い投げが入れなくなってしまい、古賀選手の柔道スタイルとは違った私のオリジナルである柔道の型を作り始めました。

中学に入り、部活やスポーツ少年団で練習に取り組むことで県大会で優勝することができ、全国大会にも出場しました。

初めての全国大会で全国レベルの高さを痛感し、もっと強くなりたいと思い、高校の進学時に声をかけていただいた、地元の強豪私立高校に入学を決めました。

高校の練習は、中学までの練習とは段違いにキツさが違いました。私は、小学生の頃から怪我が多く高校でも大怪我を繰り返してしまい、満足のいく練習をすることができませんでした。

練習が足りないので試合で勝てるわけもなく県大会では、3位止まりでした。どうすれば勝てるのかと、色々試行錯誤した結果寝技にたどり着きました。

みんなが知らないような技を別の競技であるブラジリアン柔術やレスリングなどから研究して練習してきました。寝技において県内で負けることはほとんどなくなりました。結局優勝することはできませんでしたが、充実した高校柔道ライフを送れたのではないかと思います。

大学に進んだ今現在は、柔道は引退し、地元のスポーツ少年団で指導者として柔道を教えています。

敗北から学んだ巴十字

私が得意とする技は、巴十字です。巴十字とは名前の通り、巴投げをかけた後に関節技である十字固めに移行する技です。

この技は、勢いよく入ることで一発逆転を狙えます。私は、高校1年生の頃の関東大会で団体戦のレギュラーとして、先鋒で出場しました。その時、相手の選手に開始20秒もかからずに巴十字を決められてしまいました。

相手の選手が巴十字を得意としていることを事前に知っていて、対応の仕方なども研究していたのにも関わらず綺麗に極められてしまいました。その時の相手の選手の入り方や極められた肘の痛みや屈辱は、今も脳裏によぎります。

私がすぐに負けてしまったせいで相手チームに勢いを与えてしまい、私たちは敗北しました。その時から私も巴十字を練習するようになりました。

巴十字を練習していくことで、寝技のレベルが向上したり、他の関節技や絞め技などの入るタイミングが分かるようになり、試合で簡単に決まるようになりました。立ち技でポイントを取られていても一瞬の隙をついて関節を極めることができるので一発逆転を狙えます。

寝業の強さがあってこその巴十字

巴投げに入る際には、相手に対して正面に入るのではなく、直角気味に入ることをおすすめします。正面に入ってしまうと相手に持ち上げられてしまうため直角に入りこれを防ぎます。

巴十字の一番のポイントとしては、巴投げに入った方の脚ではない逆側の脚を素早く相手の頭にかけることです。この脚が頭にかからないと関節を極めることができません。

脚を頭にかけると同時にもう片方の脚を相手のお腹の横に回して相手を倒します。そうすると十字固めの体勢になるので相手の腕を両方の太腿でしっかり挟み込み、相手の親指を上に向け、背中の力を使いながら後方に倒れ込み肘関節を極めます。

巴十字を試合で決めれるようになる条件は、まず最初にある程度寝技が強いことです。

寝技が弱い人や相手の下から寝技を展開できない人などが巴十字をやると、関節が極まらず失敗してしまった時に、相手にすぐ押さえ込まれてしまいます。なので寝技が強いということを大前提として考えてください。

(文・りょー)