障害者プロレスをご存じですか。パラリンピックなどで障害者スポーツがクローズアップされる中、実は障害者プロレスという競技が日本に存在します。
障害者プロレスとは
障害者プロレスの興業が行われてもう20年以上たち一部のカルトのマニアが会場を押し寄せ、生の障害者がガチで格闘プロレスを行い、障害者と健常者の試合も行われる。
障害者レスラーは障害の重さで階級分けされている。立って歩けるクラスや、車いすクラス、寝たきりの重度障害者のクラスもある。
健常者と対決するときは健常者側にハンデをつける。たとえば車いすクラスの選手と対戦する場合、健常者は専用の拘束具を足に着けて、完全に足の動きを封じる。リングの上のバリアフリーである。そこには障害者も健常者もない。ただ二人だけの殺伐した格闘の舞台である。
障害者プロレス「ドッグレッグス」との出会い
今から20年ほど前、 北海道新聞で美唄市で障害者プロレスのドッグレッグス興行開催の記事を見た。
プロレスマニアであり福祉関係の仕事に携わる僕はちょっと興味をひかれて見に行ってみた。
その会場にはリングがなく柔道の道場に薄いマットが引かれていた。お客さんはほとんどが養護施設の生徒、同伴の先生らしきの人。
一般客はほとんどいないように感じた。会場で配布していたリーフレットを見ると、東京の方から選手がたくさん来ているようで、地元の障害者リハビリセンターからも出場するようだ。
少なくともプロレス会場の雰囲気はまったくなく、施設の運動会か学芸会といった感じだ。
僕は障害者の試合を酷評した
そして試合が淡々と始まっていった。重度脳性麻痺の方の試合はただ寝てるだけで時折手足が動いて、相手がギブアップしたようだ。
立って歩けるクラスの選手はプロレスの動きに近く、実況解説もあり比較的楽しめた。
そして、メインを迎え、地元リハビリセンターのエース前川裕が登場した。
彼は車いすクラスの選手で試合はすべてグラウンドの攻防。ちょうどグレーシー柔術のような攻撃だった。
試合後アンケートが配られ、正直、僕は酷評した。とりあえず柔道の経験のある僕は選手のグラウンドの攻防のレベルの低さや、興業の問題点を箇条書きにして、僕の実名と住所を書いて投函した。
エース前川裕とのガチスパーリング
数日後、ドッグレッグス札幌のスタッフの方から、呼び出しを食らった。そこまで言うなら来てみろと。
会場にはメインイベントに出場した、前川裕選手がいた。僕は彼とスパーリングをやることになった。
正直、彼に負けるわけはないと絶対の自信があり、結果そのようになった。スパ-リングは柔道の寝技の攻防に酷似していた。
何度やっても結果は同じ、圧倒的な実力差が出た。それから、なんとなく前川裕選手とは親しくなり、彼の練習相手を務めるようになり一年が過ぎたときのこと。
札幌の代表から、北海道十勝地方のお祭りで障害者プロレスを行うことが決まったと聞かされた。
試合は2試合。リハビリセンターの若い二人の試合、そして僕と前川選手の2試合が組まれた。
生の障害者プロレスに観客ドン引き
会場は音更町という農村のお祭り広場に併設する、小さな体育館だった。聞くと前川選手の地元に近く、地元の福祉施設の関係者、両親をはじめ親類の方ほか、お祭りの一般客もたくさん来ていた。
障害者プロレスの簡単な説明をし、第一試合が行われた。比較的重度の方の試合だ。始まる前はヤンヤの歓声があったが、ゴング(鍋をすりこ木棒で鳴らす)がなると、静けさに変わった。
ナマの障害者の方が奇声をあげて、叩き合う。客の大半は唖然としている、見てはいけないものを見てしまった顔をしている。
10分ほどで第一試合が終わり、観客の半分以上がさっと会場から逃げるように帰っていった。残った観客の大半は前川選手の身内のようだ。
障害者vs健常者(僕)
第2試合、僕が登場。プロレスショップで購入したメキシコの覆面を被り、リングネームは適当にグランロドリゲスとつけた。意味はとくにない。
前川選手に合わせて、僕は初めて足に拘束具をつけた。体育座りのような姿勢しか維持ができない。
前川選手は車いすから降りて這って移動してきた。
そして、ゴングがなった。
前川選手の動きが速い!いや、僕が遅いというべきか?彼は日常の動作なので、這う動きに慣れている。
彼の攻撃に僕はサンドバック状態だ。足を拘束されることでバランスがとれない。両手でバランスをとると、ガードもできない。
彼は四つんばいの体勢から膝蹴りをドスドス打ち込んでくる。僕はダンゴムシが横になった状態で一方的に叩かれ、蹴られた。
この試合はラウンド制なので、ゴングに救われた。会場は大歓声である!
1分間のインターバルの間に僕は呼吸が苦しくなり、自らマスクを外してしまった。
2ラウンド目。すかさず前川選手の猛攻が始まる。攻撃をくらっているうちに、前川選手の攻撃パターンがなんとなくわかってきた。
猪突猛進で攻めてくる攻撃に、まず自分の拘束された足で正面からくる打撃をガードした。その体勢でバックステップしながら、右手の張り手を彼の顔面に叩き込んだ。1ラウンドとは異なり、互角の打ち合いになってきた。
リング上は究極のバリアフリー
僕には前川選手に障害者という概念はない。一人の格闘家として究極のバリアフリーとして戦った。
壮絶な打ち合いのさなかゴング終了。僕の背中はボロボロのミミズばれである。観客は少ないながらも会場は異常な盛り上がり、完全にアウエイ状態だ。僕には声援は一つもない。
そして最終ラウンド、彼が張り手や膝蹴りを容赦なく入れてくる。前川選手の攻撃の一つ一つに会場内は大歓声!
打ち合いは続き、僕の張り手で彼がバランスを崩した瞬間、僕は彼の左手に腕を絡めた。
柔道時代からの得意技「腕がらみ」(関節技)だ! 全身の力を込めて腕を締め上げる。もう完全に相手が障害者だという意識はない。
粘りに粘ったあと、試合は前川選手のギブアップで幕を閉じた。
健常者として障害者の彼を叩き潰した。勝利した瞬間、僕はふと我に返った。
障害者の方をここまで痛めつけてしまった罪悪感、こうまでして勝たなくてはだめだったのかと。
試合後のマイクパフォーマンスと観客の反応
試合後、前川選手はマイクを持って観客に挨拶をした。
「みなさん、今日は本当にありがとうございました、負けてしまったけど…でも、グランさんが僕に全力でぶつかってきてくれて本当にうれしかった!」
と頭をかきながら照れ笑いのような笑顔で僕を見た。
僕もにっこり笑顔で握手し、会場内は拍手の渦が起きた。
これもプロレスである、台本もないガチのプロレス。もう2度と経験できない僕の戦い。
その後の彼は東京遠征をくりかえし、数多くの選手と名勝負を繰り返していく。
余談だが、僕も彼のセコンドとして東京に遠征し、北沢タウンホールでは対戦相手女性マネと乱闘騒ぎ、なんてこともあった。
僕のドッグレッグスの活動は新聞などに取り上げられ、一般のプロレス団体への参加へとつながっていく。マスクマンとしてリングに上がることになるとは……。
本当にプロレスは青春であり、人生ですね。
(文・GO)