第一回IWGP決勝戦…猪木を襲うハルク・ホーガンのアックスボンバー!

世界最強のプロレスラーは誰か?

こんな話題を当時よく友人たちと話したものだ。世界最強のチャンピオンはNWA世界へビー、他AWA世界ヘビーそして、NWAに加盟したWWFヘビーが3大チャンピオンと言われた。

ジャイアント馬場が率いる全日本プロレスではNWAの選手権が行われ、馬場も世界最高峰のNWAのベルトを3度巻いた。

だがアントニオ猪木が率いる新日本プロレスでは政治的な理由により、NWAの選手権は行われず、猪木がチャンピオンになるチャンスはなかった。

馬場にもオールスター戦の際に挑戦をアピールしたが実現せず、元NWAチャンピオンを巻いた馬場の方が猪木より強いという図式が出来つつあった。

「NWAに挑戦できないなら、自ら世界の強豪を集め世界統一をする」

猪木のそんな意気込みでIWGP(International Wrestling Grand Prix)構想がスタートした。

新日本プロレスIWGP構想の理想と現実

中学生のころ退屈な授業中にいつもIWGPのメンバーを考えていた。

まず日本代表は猪木に坂口、小林をリストアップした。世界で通用するヘビー級のレスラーだ。

アメリカ代表は、新日本プロレスに来日できるトップクラスの選手を並べた。ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント。

次に元NWAチャンピオンのダスティー・ローデス。そして大人気のアブドーラザ・ブッチャー。ヨーロッパ地区の強豪はローラン・ボックしかいなかった。というより、知らなかった。メキシコは、カネックしかいなかった。

いろいろ考えてみたが、どう集めても世界最強を決める大会のメンバーとしては役不足だ。いつものMSGシリーズと代り映えしなかった。やはり世界最強を決めるなら、全日からハンセン、ブロディ、レイス、ニック、ファンクス、マスカラス、馬場、鶴田は必要だった。

そして実際のIWGP参加メンバーが発表されたとき、あまりのひどさに愕然とした。リストアップした選手の中からは、猪木、ホーガン、アンドレしか出ていない。他は見たことも聞いたこともない選手や、なぜか前田明がヨーロッパ代表になっていた。

結局、MSGシリーズの名前が変わっただけである。当初、行われる予定だった世界サーキットも中止だった。いくらこの大会に優勝しても、NWAチャンピオンより格上に見られることもなく、政治的にも全日本プロレスにも馬場にも勝つ事は出来ないだろう。

アントニオ猪木vsハルク・ホーガン

IWGP第一回大会(1983年5月6日~6月2日)はリーグ戦で行われた。

そして蔵前国技館での決勝戦(時間無制限1本勝負)は当然というべきか、アントニオ猪木vsハルク・ホーガンになった。世界統一を掲げた以上負けるわけには行かない。

その頃のホーガンは新日のエース外国人にまでに成長していた。来日当初は木偶の棒のイメージがあったが、猪木とのタッグや数多くの対戦で、強く上手くかっこいいレスラーになっていた。

反対に猪木は40歳を過ぎ体力的にはピークを過ぎていた。上り坂のホーガンに下り坂の猪木の対決であった。

運命のゴングがなった。

グラウンドの攻防は老獪な猪木に分がある、コブラツイストでホーガンのスタミナを奪う。

ハルク・ホーガンのアックスボンバー!

しかし後半からホーガンのペースになる。勝負の延髄斬りをかわして、伝家の宝刀「斧爆弾アックスボンバー」だ。

そしてバックドロップで猪木を追い込む。猪木も反撃に巨漢のホーガンを持ち上げるが場外に転落する。ホーガンは、猪木の後方からのアックスボンバー!そのまま鉄柱に激突。館内から悲鳴があがる。

先にホーガンがリング内に戻る。猪木はフラフラと意識朦朧でリングに戻りエプロンに立ち上がった瞬間、アックスボンバーで場外に吹っ飛ばされる。猪木は動かない。セコンドが介入して猪木を無理やりリング内へ戻すが猪木はぴくりともしない。

悲痛なイノキコールがこだまする。完全なノックアウトだった。勝者ホーガンは、勝利の喜びよりも、猪木を殺してしまったのではないかと悲痛な表情を見せる。リングドクターや審判部長の山本小鉄、他の選手もなだれこむ。勝者ホーガンの表彰、猪木は救急車で運ばれる壮絶な結末だった。

IWGPのシリーズが終わった後、新日本プロレスの巡業が僕の街にも来た。僕にとって初めての生観戦だ。

大会のポスターには猪木の写真が載っているが、同シリーズは全戦欠場だった。そのシリーズは記憶に間違いなければ、佐山タイガーマスクの最後のシリーズのはず。人気絶頂の新日本プロレスにかげりが見られた。そして激乱のクーデーターへと発展する。

(文・GO)

アントニオ猪木に噛みつく最弱?将軍KYワカマツ(若松市政)に感動
昭和の時代はプロレス全盛期、たくさんの素晴らしい日本人レスラーがいた。 金曜午後8時という時間は、僕の一週間の中でもっとも充実している時間だ。 中一から見たプロレスも社会人になってからも見続けている。金銭に余裕が出てきた時代でも...