ジョージ高野を覚えているだろうか。甘いマスクにビルドアップされたボディ。天性のバネ、ずばぬけた運動神経の持ち主。
だが、スター選手ではあったが、超一流にはなれなかった。やることやることが裏目に出てしまうプロレス人生だった。この微妙なところに、なぜか僕は惹かれた。
ジョージ高野とFSR(ファイティング・スピリット・レスリング)
1990年、日本のプロレスに激震が起こった。当時のプロレスの主流は新日本プロレスと全日本プロレスであった。
そこに巨大資本の会社、「メガネスーパー」がプロレス界に参入し、全日本プロレスから大勢の選手が移籍した。新日本プロレスからはジョージ高野も移籍した。
しかし、メガネスーパーはファンからのバッシングで2年で崩壊。崩壊後、残党グループは各々団体を旗揚げするも短期間で消えていく。
ジョージ高野はNOW、PWC…と転々とし最後はなぜか北海道の釧路に流れ着いた。北海道の右端の寒い街である。そこでFSRという団体を起こした。1995年の事である。
後から聞いた情報で高野の夫人が釧路出身ということらしい。「F・S・R」ファイティング・スピリット・レスリングの略だ。しかしレスリングの頭文字はRではなくWであった。この辺りが、やはりジョージ高野らしい。僕が27歳くらいの頃。高野は40歳近くだったはずだ。
プロレスラー対アマチュア格闘家の対戦!?
FSRの興行の情報は全くなかった。まず、選手がジョージ高野一人しかおらず、アマチュア格闘技の若手が数人いた。
高野はそのアマチュア格闘家と対戦した。調べても名前すら出てこない。プロレスラー対アマチュア格闘家の対戦など他の団体では見たことがなかった。
当時の高野は新日本プロレス時代のビルドアップされたボディではなく、あきらかに練習をしていない体型だった。対戦相手のアマチュア格闘家は一回り小さい。
客はかなり少なく、高体連の地区大会のような雰囲気だ。試合はラウンド制で行われた。
ゴングが鳴る。両選手、パンチやキックの打ち合いだ。アマの方はU系のような動きをする。一方ジョージ高野は、格闘技系のキックは使ったことがないのでプロレスっぽい蹴りだ。
無名のアマ格闘家のスープレックスがきれいに決まる。柔道なら一本だ。小さな体でマウントを取り試合の主導権を取る。いや取られた。高野が押されていた。
メジャー団体で活躍していた高野が無名の小さな格闘家に押されていた。
アマチュアに敗れたジョージ高野
次のラウンドにはいる。ジョージ高野はそれまでTシャツを着て試合をしていたが、それを脱ぎ捨てた。だらんと贅肉が目立つボディだ。高野の大ぶりなキックにパンチ。若干高野のペースになるが決め手がない。
独特の格闘技戦のような張り詰めた空気だ。キックにパンチに関節技の攻防。高野の大ぶりなハイキックが決まるが相手には効いていない様子。どちらも決め手のないままゴングだ。
次のラウンドでは高野のプロレス技がでた。得意技のニールキックだ。相手が受ける気がないのでまったく決まらない。パンチにハイキックの小競り合い。もはやこれはプロレスの試合ではなかった。
ラウンドは次へ次へと進む。5ラウンドが最終ラウンドだ。クリーンに握手でスタートするが、同じような攻防が続く。両選手に決め手がないが、グラウンドはアマ格闘家の方が動きは良かった。一度高野が寝そべって、アマ格闘家の足に蹴りをいれた。いわゆる猪木が、モハメッドアリに見せた「アリキック」だ。
全くわかない会場。もつれたまま試合終了のゴングがなった。この試合には判定があり、高野は判定負けだった。メジャー団体でチャンピオンベルトを巻いたこともある、ジョージ高野がアマチュア格闘家に敗れた。
猪木の弟子のジョージ高野がアマチュアに敗れた。この試合をやる意味がまったくわからない。高野はいったい、観客に何を言いたかったんだろう。プロレスラー高野の強さも、らしさも見られない。こんなことをやってしまえば団体が消滅するのは間違いなかった。
案の定2年後にはFSRはなかった。九州へ移ったそうだが二度とFSRの名前は聞かない。そしてアマチュア格闘家に敗れたプロレスラーの試合はこれ以外ないはずだ。
(文・GO)