小学生のときに見た魔裟斗vs山本”KID”徳郁の試合展開

格闘技を始めたての小学生のころ。それまで大晦日は歌番組を観ていたのですがこの年は家族にお願いをしてK-1にチャンネルを合わせていました。

最近でも那須川選手、武尊選手、朝倉兄弟などスター選手が出てきていますが、当時の私のヒーローは中軽量の選手でした。

魔裟斗、山本”KID”徳郁、小比類巻、武田幸三、須藤元気、クラウス、サワー、ブアカーオなど。

私たちの世代の子供達は打撃、関節技を見様見真似で真似したり放課後砂場で練習をしたり、リング上のヒーロー達みたいに強くなりたいと願ったものでした。

2004年の魔裟斗vs山本”KID”徳郁

その中で心に残っている試合は2004年大晦日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!での魔裟斗vs山本”KID”徳郁です。

当時の魔裟斗は国内には留まらず世界的にもK-1中量級の頂点に君臨する存在でした。それに挑むKIDは爆発的なパンチ力とギラついた目にカリスマ性をバンバン放っていました。

KIDは立ち技経験わずか1試合。魔裟斗相手では厳しいのでは…と考えるのが当然です。だが私たちちびっ子ファンでさえカリスマ性に溢れたKIDに「もしかすると?」という期待を膨らませていました。

今思えば勝って当たり前と言われる試合ほどやりにくいものは無いのではないでしょうから、魔裟斗もプレッシャーを感じていたことでしょう。

前に出るKID、リズムいに乗る魔裟斗の試合展開

試合が始まり恐いものを今から見るような感覚でした。

KIDの構えはサウスポーですが立ち技のサウスポーというより右の1発で倒してやろうともとれる、KIDのレスリング家系のバックボーンが詰まった様な異様にも見える構えでした。

魔裟斗もその構えに戸惑いながら探り始めた1R目。KIDの左フックが顔面を捉えて魔裟斗は後ろに吹き飛ばされるようにダウンを許しました。

すぐに立ち上がりノーダメージをアピールした後反撃に出た魔裟斗のローキックがKIDの金的に直撃し悲鳴ともとれる声があがりました。

回復を待ち再開し、KIDは臆せず前へ。魔裟斗はリズムに乗ってきたのか軽やかで重たい蹴りが炸裂し2人は試合前の煽り合いは何だったんだと言うように、2人にしかわからない世界を楽しんでいた様に見えました。

2R目に入ると立ち技の経験の差が出てきたか魔裟斗の軽快な蹴りや飛び技といった大技を中心とした試合展開、魔裟斗のミドルがKIDの腹部を捉えダウンをとります。

それでもKIDは一発逆転を狙い前へ前へ…結果そのリズムが覆る事はなく全3Rが終了。判定は僅差で魔裟斗が勝利しました。

2015年に再戦。「また10年後」は実現せず

私はテレビ画面に釘付けでした。

不利と言われる試合でも自分より大きな相手に立ち向かうKIDの姿勢が私を魅了していました。

それから11年後の2015年大晦日。あのヒーロー達が再びリングに上がりました。現役を引退して当時のギラギラしたものは無くなったにしろリング上での2人はどことなく嬉しそうにかつての戦友と拳を交えていました。

結果は魔裟斗の判定勝ち。試合を終えた2人は笑顔で戦友を称え合い、「また10年後」。

その言葉から3年後、KIDは天国へと旅立ち2人の再戦が実現する事は無くなりました。

当時の子供達の中には、あの試合をきっかけで格闘技を始めた人、大きな相手に立ち向かう姿に勇気をもらった人がたくさんいるはずです。私もその中の1人であることに間違いはありません。