姉と比較され劣等感の塊だった私を少林寺拳法の先生が認めてくれた話

私が少林寺拳法に出会ったのは小学校5年生の時です。当時の私は、学校でいじめを受けかつ家でも居場所はありませんでした。

小学校の掲示板に少林寺拳法のポスターがありました。急いで家に帰り、そのことを親に話しました。

少林寺拳法の見学に

見学の条件として保護者の同伴が必要でしたが、母が仕事で行くことができず、祖父と共に見学しました。

教室は子供部門と大人部門に分かれていました。子供部門は幼稚園児から小学校6年生まで、大人部門は中学生から社会人と分けられていました。

稽古が始まるとまず、道院の掃除を始めます。これを「作務」といいます。同時に下駄箱の掃除も行います。これを「脚下照顧」といいます。この「脚下照顧」には靴を脱ぐ際に、だらしなく脱ぐのではなく両足をそろえて脱ぐ決まりがあります。

この掃除が終了した後、人数を確認する点呼をとり、年長者が先生に報告します。報告が終了した後、準備運動と基本稽古の「突き」と「蹴り」を行います。

練習の終わりには、鎮魂行と言って少林寺拳法の心構えを暗唱し、座禅を組みます。鎮魂行を終えるとそれぞれ帰宅していきます。

少林寺拳法の入門を決めた理由

皆が帰宅した後、先生が入門の手続きのやり方や少林寺拳法について丁寧に説明してくれました。

この説明を聞いたとき「これだ!」と私は感じました。

「心身ともに鍛えてくれる」

「自分を認めてくれる大人がいる」

その二つを満たせると思った私は入門しました。

母と違って姉妹を比較しない先生

入門した後の生活は楽しいものでした。私には姉がいます。姉も私の話を聞いてか入門しました。理由は「妹が強くなるのがくやしいから」だそうです。当時の姉は中学2年生で大人部門から入門し稽古に励みました。

まだ小学生の私は子供部門の稽古内容と大人部門の稽古内容が全く異なるので「早く中学生になりたい」と思っていました。

先生は両親のように、私と姉を比べることなく平等に接してくれました。それはいつも両親から比べられ、劣等感を植え付けられていた私には救いになりました。

稽古終わりに軽く雑談するさい、先生はすぐに比較をする母に注意してくれました。姉もそんな先生が好きになりました。

大人になっても大切な自分を認めてくれる人達

先生は私たち姉妹を比べることなく平等に接してくれました。そのおかげで学んだことがあります。それは「その人個人を認めること」です。

私は常に両親に比べられ劣等感を埋め込められてきました。しかし、先生に出会ったことで人生が変化しました。

「私を認めてくれる人」という存在がいるだけで、こんなにも生活が明るくなるとは思いませんでした。

大人になると「私」という存在ではなく「私の肩書」だったり、「私の年収」だったり、その人個人を見ずに接してくる人達が増えてきます。

そのような肩書などで付いてくる人達は、助けてほしい時に助けてはくれません。助けてくれるのは「自分を認めてくれる」人達です。

「その人個人を認めること」でいざという時、助けてくれる仲間は増えていきます。他人を蹴落とすことや貶めることばかり考えるのではなく、相手も思いやり、認めることの大切さを少林寺拳法の先生から学びました。

(文・ニコ)