柔道五輪候補との中断しない乱取りの思い出

テレビ番組「有吉ゼミ」で、お笑い芸人である塙の息子を指導していた原田堅一先生をご存知でしょうか。

私は、原田堅一先生と同じ大学で、寮も同じでした。当時の原田堅一先生は、マイナス60キロ級のアトランタオリンピックの候補生であり、母校の大学院を経て総合警備保障に籍を置かれながらコーチも兼ねておられました。

原田堅一先生との乱取り

原田堅一先生の稽古の特徴は、自分が納得いくまで乱取りを中断しないことでした。原田堅一先生が稽古相手に選ぶのは、自分の苦手な相手であること、自分の稽古についてこれる忍耐力があること、外人と似た体型であることでした。

私は入学してすぐに原田堅一先生から稽古相手に選ばれました。当時の私の体型は身長178センチ、体重は70キロ弱だったため、原田堅一先生は格好の稽古相手を見つけたと思われたのではないでしょう。

原田堅一先生とは毎日5分×15本の乱取りを、先生が納得いくまで真剣勝負で稽古をしていました。時間にして約1時間半、そのキツさは例えていうなら、1000メートルをほとんどインターバルなしで、20本くらい走るのと同じくらいだと言うと分かりやすいかも知れません。

原田堅一先生は、翌年の春、アトランタオリンピックの選考会でもある全日本体重別選手権大会に出場されました。私も応援に行きましたが、先生は惜しくも準決勝で敗れてしまいました。結局アトランタオリンピックは、後にオリンピック三連覇の偉業を達成した、天理大学四年生の野村忠宏選手が選ばれました。

原田堅一先生はこの敗戦がきっかけとなり、また、年齢的にも限界を感じられて一線を退いた後、佐賀県の教員に就任されました。

昨年に行われた某県の国体で原田堅一先生と24年ぶりに会うことができました。私が挨拶をすると、私のことをきちんと覚えておられました。原田堅一先生と、またお会い出来る日が来ることを楽しみにしております。

(文・ダッカー)