大学3年生の頃は、まさに柔道人生で最も強かった時期。強いということは、それなりに筋力もついてきて、重量級の選手とも普通に稽古ができるくらいの力になっていました。
筋力は筋肉の断面積に比例すると言われるがゆえに、筋力と比例して筋肉量もかなり増えてまして、後ろから見たらまるで男みたいな体つきに。
女としては悲しいですが、当時はその筋肉モリモリの男勝りな体に誇りを持っていて、更衣室の鏡でポージングを取っていた記憶があります。
筋肉がついたことで減量が困難に
しかし、筋肉モリモリでも私は52kg以下級、強くなればなるほど減量も比例して苦しくて難しくなっていったのでした。
最高で62kgくらいまで増えたでしょうか、約1カ月で10kgは減量してました。
更には、強くなるにつれて県やブロック代表としての大会が多くなり、計量は絶対クリアしないといけないというプレッシャーに、かなり苦しんだのをよく覚えています。
大学3年ともなると、それなりに栄養や減量に関する専門的な知識がついています。しかし、人間の体はそう簡単にはいかず、やはり最後は毎回苦しむことに。
1カ月で10キロ減の減量計画
今でも記憶に残っている減量は、ブロック代表として出場した国体でのこと。
夏が過ぎ、11月くらいの開催だったと思いますが、この時期はとにかく体重が落ちないのです。
1カ月かけて行う約10kgの減量は、以下のような計画で実施しました。
減量最初の1週間は楽に落ちる
まずは「減量スーツ」と言われる、柔道衣の下に着るサウナスーツみたいなやつを常に装着して稽古をします。いつもの倍以上の汗が出るので、食事量はそのままでも最初の1週間で3〜4kgは落ちました。
減量2週目から、さらに絞る
次の2週間からは、食事の量を減らしていきます。1週間かけて炭水化物と脂質の割合を通常の半分に減らしていき、次の1週間で3分の1まで減らしていきます。加えて、朝晩にそれぞれ5kmのジョギングや水泳などの有酸素運動で更に絞っていきました。
試合当日1週間前までに55kgを切っていれば確実に成功すると言うのが、それまでの経験で得た数字ですが、その時は56kgくらいから落ちなくなっていました。
減量最後の1週間はまさに地獄
さあ、残り1週間はまるであしたのジョー、地獄の始まりです。
最初の4日は野菜と果物、低カロリーのゼリーのみの生活で2kgの減量、そしてラスト3日はほぼ飲まず食わずの生活で絞り上げていきます。
それでも練習はしないといけないので、顔は青ざめてフラフラ、生きていくのがやっとという感じ、きついを通り越していたのか意識朦朧な地獄の毎日でした。
頭の中に美味しいジュースや食べ物が頭に浮かんでは消えて。夢でも食べる夢がでてきて、食べてしまった!と、慌てて飛び起きたこともあるくらいです。トイレの水も飲みたい、そんなレベルまで追い込んでいました。
前日にさらなる減量
前日までにラスト500gまで減らせたのですが、絞りに絞ってきたのでそこからが落ちないんです。
汗も、唾液も出ない状態、ガムを噛みながら大浴場の湯船に浸かって残り一滴まで絞るのが最後の方法でした。
ふと辺りを見渡すと、私と同じような選手が青い顔をして何人も浴槽に浸かっていました。
ライバルのはずなのに、「大丈夫ですか?」「きつい、もう無理かもー」とか話して励ましあい、微妙な親近感と一体感のようなものを感じました。
そして、計量へ
前日は空腹と喉の渇きで殆ど寝ないまま朝を迎えました。朝一番で会場に向かって仮計量を行うと51.3kg、よし、いける!
両手にジュースを持って、足早に計量会場へ行きました。1番に並んで1番に計量をパスするぞと意気込んだのもつかの間、見渡すと既に十数人の選手が並んでいました。前日、浴槽で話を交わしたメンバーばかり、考えることはみんな同じだったのですね。
計量は、とりあえず1回でクリアしました!
…良かった。終わってすぐに両手に持ったジュースをがぶ飲み、その美味しかったこと、この瞬間が最高に幸せなのは減量経験者ならおわかりいただけるかなと思います。
(文・黒帯ももこ)