2005年に日本初のロシア武術システマの公式団体、システマジャパンが創設された。
それ以来、日本には海外からのシステマインストラクター達が毎年来日し、日本各地でセミナーを開催している。
システマの海外拠点と言えば、世界で一番最初に団体として発足されたカナダのトロントに本部を置く、ヴラディミア・ヴァシリエフ師が代表を務めるシステマ・ヘッドクォーターがある。
そしてロシアのモスクワに本部を置くシステマ創設者である、ミカエル・リャブコ師が代表を務めるシステマ・ヘッドクォーター・モスクワがある。
共に本部と名前が付いているので、日本では概ねトロント本部とかモスクワ本部と言って区別している。
とにかく、来日する外国人インストラクター達は専らこの2カ所から派遣されて来るのである。
私も可能な限り、彼らが来日した際にはセミナーに参加するよう努めている。
今回はその中でも特に私が興味を引かれたインストラクターとのエピソードについて書きたいと思う。
創設者の直接指導を受けられるシステマ
日本で現存する古流武術の流派においては、流祖や創設者の生年が室町時代であったり江戸時代であったり、およそ数百年前であることは専らだ。
そのため武術が生れた背景や流祖や創設者の思想といったエッセンスがどうにも実感し辛い。
その点システマに至っては創設者ミカエル・リャブコ師は存命で、毎年のように来日してはセミナーを精力的に開催している。
つまり誰しもが創設者に直に会い、同じ空間と時間を共有し、素朴な疑問をぶつけ、直接指導を受ける事ができる。
これは非常に幸運なことであると私は感じている。
それ故に我々日本のシステマ愛好者達からしても、創設者や有名なインストラクターとは言えども非常に近しい存在として感じているのである。もちろん敬意を感じない訳ではないが、無条件に崇拝するようなことは無いのである。
何より創設者のミカエル・リャブコ師こそが、そういった扱いを望んではいない。
それはシステマの教えの一つとして、自分の先生となるインストラクターの動きをそのままコピーするようなことは良しとしない、という事にも現れる。
人間それぞれ性別、人種、生育環境などによって骨格の大きさもバランスも筋肉の着き方までも多種多様である。
だからこそ、本当にその人にとって無理のない快適な動作、リラックスや緊張の感じ方が他人と全く同じであることなど有り得ないのだ。
だから、インストラクターは導き手であり監督者であるのだが、決して感性や思考と言った精神をも支配する絶対者ではあってはならない。
そうしてその元で育った生徒達もまた、自由なオリジナルの感性のままにいつの間にかシステマを体得していくのである。その為、システマのインストラクター達は本当に個性がはっきりしている。
同じ門下といえどもここまで違うのかと驚かされることも度々ある。それこそ創設者、ミカエル・リャブコ師の直弟子であってもだ。
企業経営者でもあるシステマのインストラクター
中でも異彩を放つのが、モスクワ本部インストラクターのヴラディミア・ザイコフスキー師である。
簡単に紹介しておくと、彼はモスクワ本部に所属するミカエル・リャブコ師の直弟子である。
が、システマという武術が旧ソ連軍の管理下の元に誕生した歴史を持つが故にミカエル・リャブコ師の直弟子の多くは現役の軍事関係者であることが多い。
だが彼の本業は企業の経営者という肩書ながら、瞬く間にシステマのトップインストラクターの仲間入りを果たした経緯を持つ。私が、そのヴラディミア・ザイコフスキー師と初めて出会ったのは、数年前の東京セミナーだった。
ザイコフスキー師の登場
その日、私は会場に到着するのが交通の都合で少し遅れてしまった。
到着した時は、まだセミナーは始まってはいなかったものの、会場にはかなりの人が集まっていた。急いで着替え、周囲を見渡しザイコフスキー師の姿を探した。
だがなかなかザイコフスキー師の姿が見つからない。
まさかまだ本人が到着していないのであろうか?
と、色々考えているうちにセミナー開始のアナウンスが流れた。すると私の直ぐ横にいた数人の人集りの中から、すっと細身の白人男性が前に歩み出た。ヴラディミア・ザイコフスキー師である。
一瞬ドキッとした。
まさか先程からずっと自分の直ぐ近くにいらしてたのか?
無礼な表現だが、率直に言って地味な人だ。
そんなザイコフスキー師、いざセミナーが始まり様々なワークを指導していく。
ザイコフスキー師の実演
まず、参加者達に自分の周りに集まる様に言った。すると一名を指名し、ザイコフスキー師の手首を掴むように言った。
彼はその手首を持った人に、これから自分の体内に何が起こるのか感じる様に指示し、見ている我々には何が起こっているかよく観察するように言った。
ここからは見たままに書く。
まずザイコフスキー師の手首を掴んだ人の表情が徐々に歪んでいく。そして膝が震えだしたかと思うと、苦笑の声を漏らしながら前のめり手をついて倒れてしまったのだ。言っておくがザイコフスキー師は何もしていない。
手首を掴まれたまま、その場で直立していただけである。これはその時見たままの状況だ。会場にどよめきが起こる。
するとザイコフスキー師は涼しげな顔で「今、私たちの間でなにが起きたか分かりましたか?」と会場の参加者達に問いかけた。
全く分からない。
分かるはずもない。
手品か超能力ショーを見ている感覚だ。
手首を掴み、掴まれる練習
ザイコフスキー師曰く、
「貴方がもし突然に体を掴まれたとしましょう、掴んできた人には掴んで離さず、かつ相手をコントロールしようとの意思があります。だからその人には力みと緊張が生れています」
「一方、掴まれた貴方には驚きと恐怖で、やはり力みと緊張が体の中に生まれるのです」
「こう言った時、掴む側と掴まれる側、双方が緊張し、バランスが取れた状態になり、双方の体勢は拮抗するのです」
「しかし、もし貴方が緊張を取り払い、掴んできた相手との力のやり取りを止めれば、相手は力の行き場を見失い、やがて自滅するのです」
そう説明されたが、全くピンと来ない。
むしろ余計に混乱してしまった気がするが、それでもザイコフスキー師は各々ペアでやってみろと言う。
最初私が手首を掴みにいく。
何も起こらない。
何回か手を持ち替えたりして再度試みてみたが、それでも何も起こらない。
数分間の悪戦苦闘の末に諦めて交代する。今度は私が掴まれる番だ。
この時の私のペアの相手は身長180センチ前後の比較的ガタイの良い男性であったが、手を掴まれると案の定、かなり強めの力だ。
まあ、この様な相手に手首を掴まれたら緊張して当たり前かとも思った、が、しかしここはやってみるしかない。感じた緊張を、私も呼吸を使って発散しようと挑戦してみた。
最初は掴まれた場所の緊張を取り除こうとする。すると割と直ぐにできた。
僅かな達成感も束の間、腕は力が抜けたが、反動で今度は肩が余計に緊張してしまい非常にバランスが悪くなる。慌てて肩の力を呼吸で抜く。
すると今度は手の平が力みでガチガチになっていることに気付く。それをまた発散しようと呼吸に集中する。
しかしこんどは無意識に体をのけぞらせて姿勢が完全に崩れていると言った具合。
もはや当初のワークも忘れ、緊張と発散の堂々巡り状態に陥ってしまっていたのだ。
すると私の肩を誰かが叩いた、我に返り横を向くと何とザイコフスキー師であった。
ザイコフスキー師の技を実際に体験する
集中していたのもあるが、ここでザイコフスキー師が近づいてきた気配が掴めなかったのだ。
とにかく私は観念して「出来ません、難しいです」と打ち明けた。
するとザイコフスキー師は微笑みながら「私の手を掴んでください」と言う。
おもむろに彼の手首を掴む。
するとどうだろう、私はその瞬間たしかに彼の腕を掴んでいるのだが、まるで人間の腕を掴んでいるような感覚がしないのだ。脳内が静かに混乱するのが分かる。
さらにすかさず自分の腰の周辺が言いようのない不安定さを抱えて崩れていく。そして膝も、力の入れどころを見失ったかの如く無残に折れていく。
次の瞬間、私はザイコフスキー師の腕を掴んだまま床に崩れていたのだ。まさしくそれは、最初にザイコフスキー師が説明してくれた現象が確かに私の体内起きていたのだと認めざるを得ない体感であった。
それと同時に、それまで私が抱いていた身体理論の朧げな固定概念が崩壊した瞬間でもあった。因みに、私のペアの男性にもザイコフスキー師は同じように腕を掴ませ、呆気なくそれをやって見せた。
「自分の緊張だけに捕らわれるよりも、掴んできた相手の緊張をよく感じて観察することが大切です」
「私をよく見てください、でも私と同じことをする必要はありません、人がリラックスするということを理解すればいいのです」
と、ザイコフスキー師はそう言って去っていった。
私とペアの男性はまるで放心状態のようになり、お互い顔を見合わせ、思わず笑い合っていた。
ロシア軍特殊部隊の格闘技という固定概念を覆す
その日のセミナーはこんな感じで緊張とリラックスをテーマとした内容であった。
細かい内容は割愛するが、ザイコフスキー師はワークを提供する前に必ず自身で実演して見せる。
ザイコフスキー師の体に触るだけで、たちまち人間が崩れ落ちる。ザイコフスキー師が触れるだけで、その相手は他愛なく体のバランスを喪失する。
しかもザイコフスキー師は、さも何事もなかったかのように実に涼しい顔をして、時々笑みも浮かべる。こんなにも空気の張りつめる事がないテイクダウンは、私はシステマ以外に見たことが無く、ヴラディミア・ザイコフスキー師はその中で突出しているように思える。
初対面の相手に感じる一種の緊張感というものを相手に感じさせない。心のバリアーのような物があるのなら、ザイコフスキー師はそれを一切無力化してしまうのだ。
それも、決して馴れ馴れしい態度や、異常に明るく振舞うのではない。ただそこにいるだけで全てを達成してしまうのだ。
ではザイコフスキー師には存在感が無いかと言えばそうではない。彼は、気付けばまるで自宅の廊下ですれ違う身内のような感じで一切の緊張感を相手に与えない存在としてそこに居るということだ。
そこに居るのには気付く、でも決して意識をさせない。こんな摩訶不思議な存在感を纏った人物には初めて出会った。
彼の師匠であるシステマ創設者、ミカエル・リャブコ師ともまた違う。システマをある程度理解している人からは、ザイコフスキー師はいかにもシステマのインストラクターらしいとも思えるだろう。
が、もしシステマにロシア軍特殊部隊の格闘技という固定概念しか無い人がいるのなら、間違いなくそれを覆えすインストラクターだ。他の誰とも比較しようのない、唯一無二の人物。それがヴラディミア・ザイコフスキーという人なのだ。
彼らしさを実感したのはセミナーが終了した後でもだ。セミナーの終了が告げられ、参加者全員で記念撮影をした後、拍手が起こる。すると次の瞬間にはもうザイコフスキー師は人ごみの中にその存在感を埋没させてしまっていた。
本当に、最初から最後までザイコフスキー師はザイコフスキー師であった。これが私の知る異色のインストラクターとの出会いの話である。
憧れの存在も参考程度に
私は中学生時代は剣道をやっていた。その時には自分も宮本武蔵みたいになりたいと思ったことがある。
それは単に強さが、と言うよりも、その生き方や人生観といったところまでに至るまでだ。
当然、生きた時代や環境が違うのだから、それは相当の鍛錬と経験を踏まなければならないのは理解できる。今思えば、ある種その様な人々は歴史の遥か彼方、遠いが故に伝説化されている。
この遠さが、ファンタジー的な物に憧れれがちな少年時の私には丁度良かったのだろう。
その後、年齢を重ねるにつれ、そういった憧れの対象は少なくなっていった。しかしながら、武術の世界、格闘技の世界にはいつかはその分野の伝説の人物のようになりたい、その伝説的な人物に匹敵する技術、力、境地的なところにまで到達したいと考えている人は多いのではないかと思う。
実際、ブルース・リーに憧れて格闘技を始めた人や、ミル・マスカラスに憧れてメキシコに武者修行に行ったレスラーの話を私は知っている。
それはそれでモチベーションになるし、目指す目標があることは継続力につながる。
私もシステマ始める以前、正確に言うとヴラディミア・ザイコフスキー師に出会う以前、目指すべき分野では、自身が成り切りたい憧れの存在が必要不可欠なぐらいに思っていた。
だが、私は彼、ヴラディミア・ザイコフスキー師に出会った時からある心境の変化を感じていた。それは、必ずしも師匠や著名なインストラクターと同じである必要はない。
同じ感覚、感情、生き方である必要がどこにあるか?
自分は決して誰かみたいになるのではなく、私という個性そのままに生きて、私だけの境地を目指せば良いのではないか?
というものである。
その時以来、私はシステマの練習のみならず、居合の練習の時でさえ、誰か特定の人物の挙動を追い続けたり真似るということはほとんどしなくなった。
あくまで参考程度、それで良い。
そして現在、自分にもシステマの後輩が出来て、何かと質問を受ける事が多くなった。
でも答えるときは、あくまで自分の感性や感覚ではこう感じるとだけ伝え、原理原則以外、自分と同じことを追わせることは一切しない。
ただ、システマにおいて、唯一私と同じことをすすめるとしたら、ヴラディミア・ザイコフスキー師のセミナーが開催されるときには必ず行くように、という事である。
(文・門客人)