90年代、プロボクシングを始めて2年位たった頃の話です。
当時はまだプロの水に合わず停滞している時期でした。ジムの会長とも上手くいっていませんでした。
そんな時にふらっと60代半ば位の白髪の御老人が現れました。
ボクシングジムの御老人トレーナー
ボクシング経験者のようでして、練習しながら軽く動かれている姿を見学していました。
歩幅は狭いのですが、スムーズな足運びでノーモーションのパンチを軽々と放ち、特にアッパーの切れが凄かったです。
今までに観た事の無いボクシングスタイルで戸惑いもありましたが、只者ではない事は一目見て理解出来ました。
話しぶりも温厚で優しいオーラが漂う方なのですが、芯がしっかりされているのが伝わってきます。
御老人の輝かしい戦績
練習している私を見てアドバイスを下さったのですが今までに経験した事の無いボクシングスタイルなのでなかなか理解出来ませんでした。
毎日、優しい雰囲気で難しいながらもごもっともな事を言われるので段々とこの方の魅力にはまっていきました。
数日してから、この方の経歴を聞かされてびっくりさせられました。
アマチュアボクシングでは全日本選手権優勝。プロではデビュー戦から日本ランカー、後のフィリピンの名世界チャンピオンとも対戦歴のある凄い方だったのです。
その御老人はジムのトレーナーに就任し、そこからが私とこの方との練習の日々の始まりでした。
御老人トレーナーとのタッグで試合に挑む
歩幅の取り方からフットワークのやり方、インファイターなのですが、接近戦でアウトボクシングするという高度な技術、相手の身体の中心線に前足をあわせて打撃ラインを正確に取る攻撃、特にそこからのノーモーションのアッパーカットが秀逸でした。
相手の肘を小手先で回すといった今までに聞いた事のない技術を教授して頂いたのですが、現役中は半分位しか出来ないほどの難しさでした。
私は御老人とのタッグで試合の準備を進めました。
結果を出せなかった1戦目
私が所属していたのは地方の新興シムなので試合のマッチメークも上手く行きません。
1年ぶりの試合は2階級上の選手と相手の地元で行うというものでした。どう見ても不利な材料ばかりでした。
試合は御老人との練習でそのパワーある地元選手を翻弄しインサイドから崩す戦法で戦いました。しかしながら、地元の判定もあり、僅差判定0-2で敗戦となりました。
この方と私のやって来た練習は間違いではなかったと確信出来ましたが結果が出せず、ジム会長は不満だったようです。
練習内容がドンピシャで当たり勝利!
そこから、数カ月後、大きなチャンスが訪れました。
同階級の日本ランカーとの試合が組まれました。
御老人と私は策を練り、インサイドで勝負する作戦にしました。この試合も相手の地元、敵地で戦う不利な状況でしたが、準備万端で試合に望む事が出来ました。
その試合では練習した事がドンピシャで当たり、4RTKO勝で見事勝利する事が出来ました。
この時の勝利は今でも忘れられない人生を変える一試合となりました。
その後、マッチメーク力不足と私の力不足で世界チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンと戦うも僅差判定敗。
この結果にご立腹の会長は御老人とのタッグを解消して自らが指導するといいだします。それもそのはず、世界ランカーとの試合が決まったのです。
自分は引退、ご老人は老人施設へ
御老人ではなく、会長の指導の元、世界ランカーには勝利しましたが、余り後味の良いものではありませんでした。
御老人もジムを離れて私も引退。別のジムで御老人がトレーナーをしている事を聞き、ボクシングから離れた私が御老人の手伝いを買って出て、またボクシングに関わるようになりました。
この後、紆余曲折があり私はプロジムで指導する事となり御老人は老人施設に入居されました。
自分も70歳まで現場に立ちたい
そこから私は独立し御老人にジム開設をご報告に行かせて頂きました。
少し衰弱されていましたが、大変、喜んでくれました。しかし、ジムオープンから2カ月後、御老人が亡くなられました。葬儀にも参列させて頂き静かにお見送りしました。
この御老人がおられたからこそ、私はプロボクサーを継続出来ました。そして、ボクシング技術も多大に授けて頂きましたが、人間としての大きさも垣間見せて頂きました。
御老人が70歳近くまで現役の指導をされていた事が今の私の励みとなり、私も70歳まで現場に立ちたいと願っております。