鶴田、天龍、ハンセン、ブロディ…全日本プロレスの最強タッグは?

1983年、全日本プロレスの年末恒例シリーズ、世界最強タッグ決定リーグ戦。

まだ小学生だった私は日曜日のお昼に全日本プロレスのTV中継があり、特別な気持ちでテレビ観戦していました。

子供心に暮れのタッグリーグ戦がはじまると、いよいよ年末なんだな~と感じたものです。

全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦

この全日本プロレスのタッグシリーズは本当に凄いタッグチームが毎年参加しており、特に全日本プロレスは体の大きな外国人レスラーを沢山よび、毎年恒例の年末のタッグリーグ戦は豪華な顔ぶれ。全日本プロレス内のオールスター戦といつてもいいくらい盛り上がっていました。

その最終戦でのリーグ公式戦で、人気チーム同士の対決が組まれました。

ジャンボ鶴田・スタンハンセンvs天龍源一郎・ブルーザーブロディ

両チームとも勝ち点がほぼ同じで勝ったチームが優勝という見ているほうは凄くわかりやすい展開。プロレス少年なら興奮しないほうがおかしい一戦となりました。

ジャンボ鶴田と天龍源一郎

1983年の両チームはともに若く、鶴田、天龍組はまだ30歳そこそこの年齢で当時の日本人の最強コンビ。

鶴田はアマレスのエリートで馬場の1番弟子といった感じでプロレスでもエリートというイメージ。

天龍は相撲からプロレス入りして、相撲の動きが抜けず不気味なイメージでした。不器用だけど真っ直ぐなプロレススタイルで後に人気者になりますが、この時は鶴田のほうが格上だった気がします。

スタンハンセンとブルーザーブロディ

スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディは大物外国人同士のコンビで超獣コンビなんて呼ばれてましたね。

超獣コンビは今現在でもプロレスファンの間では、プロレス史の中で過去最強のタッグチームではと言われてます。

子供の頃の私には本当にあの2人は怪物なんじゃないかと思えるくらいTV画面からでも凄さが伝わってきました。

2人は怪物が会場を暴れまわるようにお客さんを蹴散らしながらリングに向かって入場してきます。そんな超獣コンビを見ると、いかに日本人最強コンビであろうと勝てる気がしなかったです。

この時が初?ハンセンの予告ラリアット

試合は両チームとも派手な技はあまり出さなかったですが超獣コンビの迫力が凄いので、小技でも充分迫力があり盛り上がります。

一人でも凄いのに2人が連携したドロップキックはど迫力でした。

特に派手な技が出なかった展開から急に試合が動きだして一気にヒートアップ!

鶴田、天龍が場外で倒れている間に超獣コンビが天龍だけをリングの中に入れ、ハンセンがラリアットを予告します。

ラリアット予告からのウエスタンラリアットは今でこそハンセンの代名詞ですが、予告してからのラリアットは、この時が初めてだと思います。

ラリアット炸裂!そして「ウイー!」の叫び

試合結果は、ハンセンが天龍にラリアットを炸裂させて見事ピンフォール勝ち。そしてお馴染みの左腕をあげての「ウイー!」が出ました。

お馴染みのウイー!ですが、実際には「ウイー」と叫んでるのではなく「ユース!」と叫んでいるらしいです。「俺たちの時代だ!」という意味なのだとか。後にハンセン本人が語っていました。

完全フォール勝ちの特別感

当時のプロレスの常識ではトップ選手である人気レスラー同士が対戦すると、お互いのレスラーとしての価値を下げないように、負けたとしても反則負けや、リングアウトによる引き分けという展開が多かったものです。

勝てる試合でもリングアウトにして完全決着は付けないのが当たり前。そんな時代に完全なフォール勝ちを奪ったところに、この試合の特別感があるのではないでしょうか。

まさに年末の最強タッグを決めるにふさわしい闘いでした。思えばこんな凄い試合をした鶴田、ブロディの2人が亡くなっているという事実に驚きます。

両チームの試合はいま見返しても新鮮な気持ちで観戦できます。当時の試合を色々と見て、思い出に浸りたいと思います。

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