猪木ついに引退!?アントニオ猪木vs藤波辰爾を見た中学生の記憶

1988年の8月8日。何故か8が並ぶ日、まだネットも無い時代でTVが唯一の情報源だったころの話しです。

日本人が見るプロスポーツもJリーグはもちろんBリーグなんてまだ無い時代。野球かプロレス以外のプロスポーツなんてたぶんなかった時代。自分はまだ多感な中学生でした。

大好きなプロレス界も冬の時代になり、ゴールデンタイム放送から夕方放送に変わり、なんか少し寂しく感じていました。

その頃にアントニオ猪木vs藤波辰爾の新日黄金カード、しかも久しぶりのゴールデンタイム生中継。さらに古舘一郎の実況が一夜限りの復活とあって、当日はとても興奮していた事を覚えています。

しかし学校では特に話題になることもなく、家でも母親から冷たい視線を受けながら、当時の俺のスーパースターであるアントニオ猪木の試合、そして久しぶりのゴールデン生中継をTV観戦していました。

生中継でテレビ放送されたアントニオ猪木vs藤波辰爾

師弟関係にあるアントニオ猪木と藤波辰爾。2人の親子対決と言われたこの試合、猪木は相変わらずの、相手を睨み殺す程の迫力のある鋭い眼付き。

そして藤波は猪木を追い越そうと下克上の飛龍革命をおこしていた時で、若い力と勢いで猪木を圧倒していました。試合展開はお互いの持ち技は全て出し尽くし、さらにここ1番でしか出さない猪木のジャーマンスープレック炸裂!

さらには、猪木が初めて出したと言ってもいいアルゼンチンバックブリーカー。プロレスは選手の持ち技をとても大事にらするスポーツで、普段出さない技を出すと、しらける場面がありますが、この時はここまでやらければならない程追い込まれてるのかと思った程です。

TVにかじりついて観戦し、集中しすぎてあっと言う間に中継時間は過ぎ、なんと放送終了時間が迫っているではないですか。この試合は生中継のため放送時間が限られていたのです。

試合が40分位過ぎた所で(後で調べたら20分とのこと)、古舘アナの中継終了アナウンスと共にTV中継は終了。

試合がどうなったのか気になってしかたありませんでした。しかし当時はネットなんか無い時代でしたので、試合展開の情報を得る手段はないです。

時間切れ引き分け!のテロップに満足感

何気なくTVをつけっぱなしにしていたら、なんとテレビからサプライズが!

その番組が何だったかまでは覚えていないのですが、プロレス中継終了後の次の番組で、猪木vs藤波が時間切れ引き分け!とのテロップが流れたのです。

当時は野球以外で試合結果のテロップが流れる事はなかったので、プロレスも野球と一緒でテロップが流れるのだぞと、当時プロレスをバカにしていた母親に言っていました。そのテロップでなんとも言えない満足感を得た事を覚えています。

試合の続きをビデオテープで上手に繋げた

試合の続きは夕方のレギュラー放送で流れました。DVDはまだ無い時代で、録画するにはビデオテープを使っていました。そして、私はゴールデン中継が途切れた所から、夕方に放送された続きの試合をビデオテープでタイミングよく繋げるという離れ技を実行し、それがなんとタイミング良く繋がったという奇跡。

若い人にはわからないと思いますが、ビデオテープの録画で、二つの番組をボタン操作だけで繋げるというのは相当難しいのです。

アントニオ猪木の引退を予感した試合

話しはそれましたが、アントニオ猪木と藤波辰爾の60分フルタイムドローの試合は猪木が引退を思わせる感じで、藤波にIWGPのベルト渡し、肩車され猪木が泣いているシーンを見た時は、中学生の自分も号泣していました。

猪木は確か翌年に国会議員になったと記憶してます。

自分が十代の多感な時期だった事もありますが、見るものをあんなに熱くさせる、60分フルタイムドローの試合なんて2度と見れないでしよう。

当時、世界最強と思っていたアントニオ猪木が引退を予感させるようにして試合が終わった事もあり、「ついにあの最強の猪木も引退するのか」と強烈に感じた試合でした。

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現在はRIZIN、DEEP、海外にはUFC、ベラトール、ONEチャンピオンシップなど総合格闘技団体が数多く存在します。 過去にさかのぼると、日本ではまだバーリトゥードやMMAなんて言葉も誰も知らなかった時代、1993年にアメリカでUF...