準決勝から指定技が変わる?居合道の試合ルールと勝負のゆくえ

あれは十年前、自分がまだ居合道四段だった時のことです。

居合道を始めてから十年、それでも、自分自身の修行の成果をなかなか実感できず、実力的にも自信を持つまでには到っていませんでした。

試合の戦績も初段の時にベスト4入りしたきり、毎年試合に出ても一回戦やら二回戦負けの常連。

特に試合結果にこだわって出場していたわけではなく、参加することにこそ意義がある、という主義ではありましたが、

(そろそろ何か一つ、勲章じゃないけど結果が欲しい)

とは思っていたところでした。

息子が活発に動きまわる年になったばかりでもあり、何となく漠然と

(今年は勝てるといいな。息子にも自慢したいしな)

などと考えていた、ちょうどそんな時でもあったのです。

居合道の試合とは

先ずは居合道の試合について、ざっくり説明させていただきます。

居合道の試合とは空手の型と同じで、型の優劣を競う型試合です。

通常、初段~七段までの段位毎に行われます。つまり二段のひとは同じ二段と、五段は同じ五段のひとと、という具合に試合の対戦が組まれますので、間違っても剣道や空手のように、「三段対五段」、「四段対七段」という対決にはなりません。

年齢や性別も同段位でさえあれば基本的に区別されず、当然身長や体重などの体格も関係なしです(大会によっては男女別だったり、年齢による部門分けもあるようですが)。

また試合において演武する(以下、抜く、と云います)技も自分の学ぶ古流の「得意技」だけではなく、「全日本剣道連盟居合(以下、全剣連居合)」の中から指定される「指定技」も「抜く」ことになりますので、その意味でもこれ以上ないくらい、公平かつ平等な武道だと云えるでしょう。

ちなみに一般的に三段以上は時間制限(大体は6分以内)があり、もしも時間をオーバーしてしまうと型の優劣に関係なく負けとなってしまいます。指定技を間違えて抜いた場合も同様です。

一回戦と二回戦を順調に突破し、準決勝へ

さて、自分の試合に話を戻しましょう。

この日の自分はどうも、朝から気分的に妙でした。やる気がない、とはいかないまでも、何だか試合に臨む、という実感がなかったのです。

何しろ試合が始まっても自分の頭の中では、試合前に聴いていた某ロックミュージシャンのビートの効いた歌詞とメロディがグルグル回っている。やらねばならないとは思っても気合いが妙に入らない、そんな心境でした。

しかし、どうやらこれが逆にいいリラックス状態を招くことになったらしく、気づけば一回戦と二回戦を順調に突破し、準決勝を迎えていたのです。

今にして思えば恐らく、一言でいう平常心というヤツに、限りなく近くなっていたのでしょう。

準決勝の相手は優勝候補

で、準決勝の相手はというと、過去に何度も優勝を経験しているA・Tさん。当然今回も優勝候補の筆頭です。組み合わせを確認した瞬間、

(あ、こりゃあ今日はここまでだな)

と思いました。

謙遜でも何でもなく、正直に自分の実力と冷静に比べれば、勝てる相手ではないと分かっていたからです。

とはいえ、既に準決勝進出を決めた自分のこの日の成績は過去最高タイ。ここで負けたところで今日はもう、胸を張って帰れる。だから次は勝てないまでも、逆に気楽に思い切りやろう。それぐらいに考えていました。

準決勝から指定技が変わる居合道の大会

ここで知り合いの一人が、試合を待つ自分に耳打ちしてきたのが、「十九川さん、分かってるとは思うけど、次から指定技変わるからね」というもの。

実は居合道の大会においては準決勝からは指定技が変わることが多く、この日もそうだったのです。

「あ、そうでしたよね。何しろ勝ち慣れてないからすっかり忘れてた(笑)。ありがとうございます」

知り合いに礼を言った自分は、何気なしに対戦者席に座るA・Tさんを見ました。一瞬、彼にも指定技の件は声かけておいた方がいいか、と思いましたが、

(いや、彼は俺と違って勝ち慣れてる。経験豊富だから、それぐらいは分かってるだろう)

と思い直し、特に声をかけなかったのです。

指定技を間違えると必ず負ける

ところがいざ準決勝が始まり、抜いている最中にどうしてもA・Tさんの方を向いて座る必要があったので、その時に自分が見たのは、全然違う方向を向いている彼の姿。明らかに先ほどまでの指定技の座り方でした。すぐにA・Tさんが技を間違えていることに気づきました。

同時にギャラリーもざわついているのが耳に入りましたが、だからといって自分まで技を間違えるわけにもいきません。そのまま指定技を抜き続けました。逆にそれからの方がえらく緊張してしまいましたが。

結果はやはりと云いますか、3対0の旗判定で自分が勝つことになりました。試合者が誰であれ、指定技間違いは致命的なミスだったからです。ルール上仕方ないし、こと試合に臨む心境として、指定技を確認しないのも十分平常心を欠く状態に当たる、と言われれば確かにその通りではあります。

実際、「理屈としてはそうなんだから、相手のミスが原因だろうが何だろうが、あれは文句なしに君の勝ちだよ」と言ってくださった方もいました。

とは言え、やはり自分としては何となくもやもやしたものが残ったのも事実です。やっぱり試合前に、A・Tさんにも指定技を確認しておくべきだったと。

居合道の試合を通じて得た剣友

しかし、多少の後悔はあれど自分はもちろん、A・Tさんにそのことを詫びたりはしませんでした。言えば彼の名誉を余計に貶めるだけ、プライドを傷つけることになり無礼極まりないと分かっていたからです。だから一切そのことは口にしませんでした。

結果としてこの日、決勝では敗れて準優勝でしたが、T地方大会の県代表に決まりました(残念ながら今のところ、唯一のT地方大会出場経験にはなっていますが)。

試合の帰り際にA・Tさんとまた話す時間があり、激励された自分はこう答えた記憶があります。

「本来なら自分は実力的に出れるような人間ではありませんが、経緯はともかく、こうして出る機会を与えられたからには、色々勉強させてもらうつもりで頑張ってきます。そうでないと、今日同じ試合場にいた方々にも申し訳が立たない」

A・Tさんは自分のその一言で全てを分かっていただけたようで、笑顔を返してくれました。

この試合の後、彼とは色々突っ込んだ話をするようになり、以前よりもすっかり仲良くなりました。話をしていて知ったのですが、彼が自分の中学時代の同級生の女性の、高校での後輩だったと分かったときは驚きました。

改めて世間は狭いな、と思いましたし、人の縁を感じた瞬間です。さらに二年ほどしてお互いが五段に昇段してからも試合でまた対戦する機会があり、今度は0対3でしっかりと借りを返されました(笑)。

ちなみにこの時は、指定技間違いも時間オーバーもしてません。文句なしに自分の完敗です。

自分はこの時に得た一番の収穫は、間違いなく、このA・Tさんという門下や所属を超えた無二の剣友を得たことだと云えるでしょう。彼とは本来の実力差を考えれば、おこがましくてライバルなどとはとても言えませんが、それでももし彼が迷惑でさえなければこの先も、お互いに切磋琢磨し、技を磨き腕を競い合う仲間でいたい。そう思っています。

最後にいわせていただけば、あの日の試合の前に指定技のことで声をかけなかったことを、この先も言いませんし、そのつもりもない。なぜなら、彼とはやはり、剣友でいたいですからね。

(文・十九川寛章(とくがわひろあき))