私が社会人になった時の初めての上司であるS先生の実家は横須賀市で、生花屋を手伝いながら猪熊功先生に稽古つけてもらっていたそうです。
その後、神奈川の国体メンバーとなったs先生は先鋒として出場した国体で準決勝まで駒を進めました。準決勝では、ミュンヘンオリンピック金メダリストの川口先生に惜しくも敗れましたが、神奈川県は堂々たる3位という結果となりました。
この実績は、町道場からでも頑張れば強くなれると、多くの柔道家に勇気をあたえました
猪熊功の弟弟子のお人柄
S先生は東京オリンピック金メダリストの猪熊功先生の弟弟子でした。しかし2011年の秋、60代前半という若さで猪熊功先生は亡くなられました。S先生は、とても悲しみ、がっくりと肩をを落としておられました。猪熊功先生は、S先生にとってかけがえのない存在だったに違いありません。そのショックは、計り知れないほどだったと思います。
S先生はその実績と人柄から、県の柔道成人男子の監督にも抜擢されて、国体では見事優勝されました。それほどの実績があるS先生ですが、とても謙虚な方でして、私は先生のそんなところが大好きでした。
S先生は、人だけでなく物も大切にする方です。恩人から頂いた1982年式ニッサンセドリックに、退官された2005年まで乗っていたのです。車検代は約20万円もかかるとのことですが、先生は「これは、恩人からもらった大切な思い出の車だから、愛着があるんだ。だから廃車に出来ないんだよ。」と、言っておられたのが懐かしいです。
柔道と仕事の両立を学ぶ
S先生の弟弟子には、東海大相模高校のH先生、土浦日大高校のO先生など、錚々たるメンバーでして、S先生は弟弟子達からものすごく慕われておりました。
八段昇段の際の祝賀会には、私も誘ってくださるほど部下思いの方でした。
しかしある時、S先生のお母さまの介護が必要とのことで定年前に早期退官されました。
S先生の送別会は、横浜のホテルニューグランドで行われました、私はこの人ともう一緒に仕事をすることは無いのかと思うと涙が出てとまりませんでした。
先生と二人きりで、ささやかな送別会をしたのは、今でも私の胸に深く残っています。先生からは餞別までいただきました。先生は、退職してからも時々私に連絡をしてくださいました。柔道だけではなく、仕事で生きる道筋を教えてくれました。
先生は、「道場と職場だけでは人間的に大きくなれない。色々なところに視野を広げていきなさい」と、常に言われていました。
S先生からは、柔道が全てではないということ、あくまでも仕事が本分だということを教えられました。いくら強い柔道選手でもいつかは現役を退かないといけません。私は、柔道と仕事を両立することの重要さを、先生から学んだおかげで、今の自分があると思っています。
(文・ダッカー)