勝利したのに引退?左ストレートについてしまった微妙な癖に苦しむ

私は1967年の春にプロデビュー(4回戦)したのが左手親指負傷の為、たった6回プロのリングに立っただけで引退の道を選ばざるを得ませんでした。

デビューしてからは4連勝。このまま勝ち進めば新人王も夢ではないというとき、その年の11月に行われたプロ5戦目に判定負けで初黒星を喫しました。

この試合が引退のきっかけとなったのは事実ですが、それは勝敗のためというよりも、突然私を襲ったある不調のためでした。サウスポーの私が左手でパンチを打つと、親指が相手の顔面に当たって激痛が走ったのです。

元来が右利きの私はいくら右フックが自分の得意パンチといっても、ふところに構えた左ストレートはきれいに当たると相手に凄いダメージを与えることの出来るパンチです。プロテストでは左ストレート一発で相手を倒したぐらいです。

小さな6オンス(170グラム)のグローブでの試合で左ストレートが正しく当たっていれば、グローブを取った時に「打撃痛」が残るのは左手の人差し指のはず。事実、それまでの4試合はすべて人差し指にだけ痛みが残って、親指は何ともありませんでした。

それがプロ5戦目では何かが変わっていました。どうして?と自問自答を繰り返す日々が続きました。

腕立て伏せのやり方がパンチのフォームに影響か

では、何故正しく打てていた自分の左ストレートは親指が当たるようになったのでしょうか?

考えられるのは筋トレの一環として行っていたジムでの普通の腕立て伏せに加えて、手の甲を下にして肘が少し曲がった感じの腕立て伏せを密かにプロ3~4戦目後ぐらいから家でやっていたことにあると思います。

手の甲を下にした腕立て伏せはそう何回も出来るものではありませんが、私は手首を鍛える為に良かれと思い、家でお風呂に入る前に10回ばかり毎日やっておりました。

やってみるとわかるのですが、手のひらを下にした通常のやり方と違って、肘が逆のハの字型になり、親指だけがやたらと斜め上に向くのです。数カ月続けた後、何か間違ったことをしている気がして止めましたが、悲しいかな微妙な癖が左ストレートを打つ時についてしまったようです。

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十分な対策がとれないまま次の試合を迎えた

トレーナーに親指痛の事を告白した私は当然こっぴどく叱られました。

サウスポースタイルから左手左足を前にした右利きのオーソドックススタイルに変更する事すら考えました。

元来右利きの私はトレーナーと相談して、何度かオーソドックススタイルで練習をしましたが、長年染みついたサウスポースタイルと比べると、ぎこちなさは自分でも痛感しました。

そこで、スタイルの変更は諦めて、もう一度正しく左ストレートを当てられるようにサンドバッグなどを打つ時には意識して拳を正しい位置で当てる練習を繰り返しました。

そして、1968年の1月に敗戦後初の試合が組まれました。相手はファイタータイプの選手でした。なるべく左ストレートは使いたくなかったのですが、右手だけでは頭から突っ込んでくる相手をさばききれずに何度か左ストレートを打ちました。その度に激痛が親指に走りました。いくら固定したサンドバッグに正しいパンチを打ち込めても、動く相手にはやはり親指から当たったのです。

ここで少し補足をすると、当時は4回戦でも10回戦と同じ6オンスのグローブを使っていました。現在は安全面の観点から6オンスのクローブは廃止され、軽中量級では8オンス(227グラム)のグローブが使用されています。

当時の6オンスグローブは親指部分が昔のミトンのように他の4本の指部分と独立して動かせるように離れており、親指部分も他の指とくっ付いた現在のグローブとはまったく異なります。ユーチューブなどで昔の試合を見ると違いが一目瞭然です。グローブの仕様が変わったのはサミング(親指を相手の目に突っ込む反則行為)防止が主たる目的でした。

話しを試合に戻しましょう。もみ合うシーンが多かったですが、2ラウンドに相手のボデーががら空きなのをクリンチしながら見た瞬間に渾身の力を込めて右アッパーをみぞおちに打ち込みました。相手は「ウーン」と唸り、その場にしゃがみ込みました。何とかKO勝ちで再起を果たしたのですが、嬉しさよりも左親指のあまりの痛さに驚きました。

たった2ラウンドの試合でこんなに左親指が痛いのなら、これが6回戦や、もっと長いラウンドの試合に耐えられるだろうかと思いました。

勝利しても意欲が湧かず引退へ

その後はジムには何度か顔を出しましたが、意欲が湧いてこず、自分がいわゆる業界用語でいうところの「ステルネス」(staleness)に陥ってしまったのです。自然とジムから足が遠のき、引退状態になりました。

当時も今もこの様に、ある日突然来なくなりそのまま引退という選手は山ほどいます。ただ、何より育ててくれたトレーナーには「いくらお詫びしても、お詫びし切れない気持ちで」その後の人生を歩んでいます。