初代タイガーマスクが消え、人気絶頂だった長州力が率いる維新軍団も新日本プロレスから離脱した。
そのころ、週刊プロレスには、なんとストロングスタイルの新日本プロレスに「キン肉マン」登場の噂が流れる。
猪木vsキン肉マン、坂口vsキン肉マン、藤波vsキン肉マン。どのカードを考えてもギャグにすらならなかった。迷走している新日本プロレス。いったい何を考えてるのか?
そして、昭和59年8月24日に彼らは後楽園ホールに現れた。そこには怪奇な謎の二人組。ミート君とキン肉マンではなかった。顔面ペイントで鞭を振り回す白装束の奇声をあげる男。
もう一人はマスクの上にスキー帽をかぶり、ショルダーにアメフトのようなパッドを入れた大型レスラーだ。しきりに本部席の猪木を挑発。館内には「カエレ!」コールが起きる。キン肉マンではなく、ストロングマシーンの初登場だった。
子どもにそっぽを向かれるストロングマシーン
その軍団は異色だった。友達も長州軍団が抜けて、マシン軍団には、みんながしらけ切っていた。あまりにも子供じみている。どんどんプロレス離れが加速する。
それでも、僕はこのマシーン軍団のプロレスを見ていた。新日本プロレスからかけ離れた雰囲気、ストロングマシーンというネーミングの悪さ。昭和のパチモノを見るような感じだ。同じマスクの2号が入れ替わったり、茶番のような試合が続く。
全日本プロレスのジョー樋口の失神よりひどかった。そして、友達はワールドプロレスリングから卒業してしまった。でも僕は一人でマシーン軍団の出ているプロレス中継を見ていた。
アントニオ猪木vsストロングマシーン
ストロングマシーンとアントニオ猪木の一騎打ちは意外に早く訪れた。というより、新日本プロレスの選手の数が足りず話題性のあるカードが組めなくなったせいもあるかもしれない。ビッグマッチの福岡のメインがこれである。
新日本プロレス、テレビ朝日も必死に彼らを売り出そうとしている。しかし、どう考えても長州軍団の代わりにはならない。プロレスを見ていつも思うのだが、一番大切なのは、眼力である。目を見ればプロレスの強さがわかった。猪木の目を見るだけで闘魂が燃えていることがわかる。
しかし、ストロングマシーンのマスクは目が見えなかった。眼力のない、まさしく機械であった。その機械はゴング前に猪木に先制攻撃をたたみかける。基本はパワーファイトである。得意のタックルや大技を連発して猪木や若手を蹴散らす。もうメチャクチャだ。
フラフラの猪木が立ち上がりやっと試合開始。試合は意外にストロングスタイルである。ストロングマシンは器用にいろいろな技をこなす。逆にその器用さが、さらに個性を無くしている。悪党ならシンや上田のように暴れてほしかったが、そのような個性もない。
だからと言って優等生な試合をするわけではない。スープレックスにコブラツイスト、卍固めなど、技の攻防が続くが、結局は最後にマネージャーの若松の乱入で試合がぶち壊れ、猪木は二人にぶちのめされる。わずか7分でのノーコンテスト。こんな試合にお金払って見に行った観客に同情してしまう。もうかつての新日本プロレスのレベルではなかった。
嫌いだったストロングマシーンとマネージャーの若松
最低な試合だった。無機質なマシーン軍団そして、特に乱入を繰り返すマネージャーの若松が大嫌いだった。その後の北海道での地方興行で若松が登場した時など、僕はヤジを飛ばした。他の観客もそうである、新日本プロレスには悪党ピエロは必要なかった。
それから30年後、僕は北海道であるプロレスの興行を手伝うことになる。なんとその興行主が若松であった。いや、地元で市会議員になっていた若松先生だった。
若松は新日本時代、究極の悪役を演じていた。素のワカマツ…若松先生はというと、大変真面目で律儀で義理人情のある方だった。僕を大変かわいがってくれ、たちまち人生の師となった。
若松先生にストロングマシン時代の話を聞いたことがある。そうすると若松先生は、にっこり笑って「時代の流れだよ…」と話した。相変わらずいつもながらよくわからない説明だ。この方が、アントニオ猪木に噛みつき日本中から罵声を浴びた人物なのだから、今でもびっくりする。
(文・GO)