1999年のプロレス界は格闘技人気に押され厳しい時代でした。
2020年の現在、プロレスは完全にエンターテイメント路線を走っております。アメリカの最大団体であるWWEは団体名にエンターテイメントと入れるほどです。
しかし20年前のプロレス界はちょうどその分岐点に来ていたのではないかと、今になって思います。
プロレスは格闘技なのか? それともエンターテイメントなのか?
ファンもレスラー自身さえも答えがわからなかった時代でした。
プロレスと格闘技が接近した時代
全日本プロレスなどは当時から完全に「プロレスはプロレスなんだ」と言って、絶対に総合格闘技と交わる事なく、プロレスの凄さを伝えていました。
一方、新日本プロレスは天才武藤敬司などか従来のプロレスを完全に実践してましたし、ほかのレスラーが格闘色の強いプロレスも行い藤田和之、安田忠夫といったレスラーは総合のリングにも上がっています。
レスラー自身も二手に分かれていました。
プロレスファンも、従来のプロレスも楽しみますが、たまにいつもと違う刺激のある格闘色の強いプロレスに熱狂しておりました。
こうした時代背景の中、今も続くプロレス界最大のイベント「1.4東京ドーム大会」において、現在でもファンの間で語られる本当になぞの多い試合が行われました。
橋本真也vs小川直也の不穏試合
橋本真也vs小川直也のカードが組まれ、わたくしも会場に足を運んで観戦しました。
ちょうど大仁田厚の新日参戦と重なっており、どちらかといえば大仁田のほうが世間的にはインパクトが大きかったと思います。
両者の対戦はこの時で3度目(確かお互いに一勝一敗)でしたので普通に「良いカードが組まれたな~」くらいの感じでたいして気にもせず、私自身も大仁田厚vs佐々木健介に対する期待の方が大きかったのを覚えています。
しかし大会終了後は橋本真也vs小川直也の試合が強烈に記憶に残りました。この試合はドーム大会のセミファイナルの前に組まれたのですが、メイン、セミを圧倒するインパクトがありました。
小川直也の絞れた体にまず驚き
小川直也が入場してきて直ぐにいつもとの違いに気付きました。今までの柔道の重量級の体型ではなく、見事に体が絞れているではありませんか。
今でこそ動きやすく体重を落とすのは当たり前ですが、当時は単純にデカく重い方が強いと思ってる人も多かったので、見事に絞れた小川の体は新鮮で「本当に強そうだ」と思いました。
実際、小川の体を見たお客さんもザワついていましたからね。
これはセメントマッチ?ブックとは思えなかった
そして爆勝宣言のテーマ曲で入場する橋本真也ですが、入場の途中で小川がマイクで橋本に、「死ぬ気があるなら上がってこい!」と言いました。
プロレスは入場も大事なのに、それを遮りマイクで入場の邪魔をする小川。小川の殺気は2階席の自分にも届きました。
試合はほとんどが打撃で従来のプロレスにあるロープに走る動きは無く、小川のパンチ、さらに倒れている橋本にマウントパンチからの踏みつけ。
お客さんは大熱狂! セコンド陣も荒れていて格闘色の強いプロレスというより、完全に総合格闘技の試合のようでした。
今では、「ブック?」なんて声もありますが、会場にいた私は完全にセメントマッチだと思いました。
プロレス技はほとんど出ることはなく、橋本は全く良い所なくKOされ、判定は無効試合となりました。無効試合とはいえ完全に橋本の負けでした。
プロレスをやるつもりの橋本に、ガチを仕掛けた小川
セコンド陣は大乱闘で収集がつかない状態。控室から当時の現場責任者で実質ボスの長州力が出てきてなんとか収まりましたが、このときに見たセコンド陣のガチ乱闘は凄かったですね。
なかでも小川直也の用心棒のジェラルド・ゴルドーのパンチは、さすがは本職と思わせるものでした。
この試合のあとにタッグマッチとシングルのタイトルマッチありましたが、橋本vs小川のインパクトが強くて、たいして盛り上がらず終わりました。
イベントが終わってみれば、当時の新日本プロレスの強さの象徴でもあった橋本が完全にKOされた試合でした。最初はプロレスをやるつもりの橋本に対し、いきなりガチの試合を仕掛けた小川。
小川はプロレス用ではなく総合用の準備をして試合に挑んできたわけですから、「そりゃあ小川のほうが有利だわなー」と今となっては思います。
その後の2人は真剣勝負で心が通じあったのか、橋本が新日を辞めてZEROONEという団体を立ち上げ、小川も一緒にタッグ組んだりして、戦う2人もいいけれどタッグを組んだ2人も凄くかっこよかったです。
そんな橋本も他界してしまい、この試合も謎を残したままとなりましたが、わたくし自身熱く、記憶に残る試合です。