私と先生が出会ったのは小学校5年生の時です。当時の私は虐めを受けており、学校や家庭でも居場所はありませんでした。学校の掲示板に貼られていたポスターを見て少林寺拳法を習い始めました。
先生と初めて対面した時の出来事は今でも覚えていて、坊主頭のがっしりとした体形の男性。「お坊さんみたいな人だな。」と感じたことは一生忘れられない思い出です。
先生とは現在でも年賀状などのやり取りをしながら連絡を取り合っており、家族に相談できない悩みを聞いてくれる大切な存在です。
少林寺拳法の先生からの意外な提案
先生はお話し好きで、法話が異様に長いのです。習っていた当時、稽古時間は夜7時から9時まで行っていました。法話は平均1時間。ときには法話で稽古を終えることもありました。
しかし、休憩中はよく私達に話しかけ、稽古終わりには親を交えて会話をしました。それは私達に大切なことを伝えようとしている証拠でもありました。
私が中学2年生の時です。冬のある日、稽古の休憩中に先生が「みんなに話がある」といって、全員に声をかけ集合させました。
私は「なんだろう」と思いました。普段先生は個別に話しかけることはあっても、全員に話しかけることは珍しいのです。
先生は、「今度の稽古収めの件で相談があるのだが、食事を作らなくても良いのではと思ったので、みんなの意見を聞きたいのだ」と言いました。
稽古おさめは食事無しで良い?
私が通っていた道院では、夏に合宿をし、冬に稽古収めを行います。当時の教室は子供部門と大人部門に分かれており、稽古を行う場所や時間も異なっていました。大人部門と一緒に稽古する機会は合宿と稽古収め時だけです。
毎年稽古収めの時料理をふるまうのですが、先生は料理を作ることに反対でした。
理由としては、毎年保護者の方からお菓子がもらえること、料理に時間がかかり本来の稽古収めができない。という2点です。私は間髪入れずに先生に意見を言いました。
「私は嫌です。なぜなら先生のおいしい料理が食べられません。後、絶対子供たちがお腹を空かせます」
当時の発言を考えると「どれだけ食い意地が張っているのだろうか。私は」と思いましたが、子供たちがお腹を空かせるのは事実なのです。
私が食事無しに反対した理由
なぜなら、毎年稽古収めの際は近くの海岸まで走り込み、その後に演武を披露。座禅を行った後、お疲れ様会を行うのですが、開始が午後1時で終了が夜6時。
走り込みが20分あり、小学校1年生もいるので、集中力がなかなか持ちません。そのことを考えると食事抜きは子供たちを我慢させる厳しいものなのです。
この意見を言った際に「そうか。では今度の稽古収めで確かめてから、来年どうするか決めよう」と話し合いが終わりました。
作った料理が好評だった
稽古収めの当日大人部門に所属していた私は集合時間より早く来て、姉と共に料理の準備をしました。稽古収めの終盤つまりお疲れ様会のとき先生とともに作ったうどんが、皆に渡されました。
子供たちがおいしそうに食べてくれたのでとてもうれしい気持ちになりました。
先生がその様子を見て、「皆、聞いてくれ今年はこの料理を無くそうと思っていたのだが、みんなの先輩が『絶対にお腹が空く』と言って反対した。
なので、今年は様子見として行ったのだが、皆の様子をみて料理を作って正解だった。みんな先輩にお礼を言おう。ありがとうございます。」
皆も「ありがとうございます」と言ってくれて、なんだが照れくさかったのを今でも覚えています。
誰かのために発言すること
この出来事のおかげで大事なことを学べました。それは「発言の大切さ」です。
発言した当時の私はただ単に「みんなと一緒に食べたい」という思いだけでしたが。あの時発言しなければ、あの感謝の言葉を受け取れませんでした。
皆さんもこれから先、イベントや部活動などで話し合う機会が多くあるとも言います。その時に誰かのために発言してみてはどうでしょうか。
(文・ニコ)