日本とロシアの剣術はどう違う?シャーシュカの形状と使い方を考察

ロシア武術システマの創始者、ミカエル・リャブコ師は近年ほぼ毎年日本を訪れセミナーを開催している。

本人はロシア連邦陸軍大佐として軍を退官して以降も、法務大臣特別補佐官の要職にあり多忙の身である。

にもかかわらず、ここまで頻繁にセミナーが行われる日本のシステマ愛好者の境遇というのは幸運なのである。

セミナーには毎回テーマがあり、その内容は多岐に渡る。剣術がテーマだった際は、システマ以外に居合も嗜む私からすれば、もう胸躍る体験であった。

システマ剣術とシャーシュカ

剣術がテーマと知り喜び勇んだ私は、他の予定をキャンセルしてでもこのセミナーに参加することを心に決めていた。

私がシステマを始めてから一番最初のミカエル・リャブコ師のセミナーであったこともあり、非常に舞い上がっていた。また、できる限りの事前準備をしてセミナーに参加したいと考えていた。

さて、システマの源流の一つはロシアのコサック各部族やその他少数民族の格闘術がベースである。

なのでシステマで用いる剣と言えばロシア少数民族由来の刀のシャーシュカ、一般に日本ではコサック・サーベルとも呼ばれる片刃の湾曲刀が用いられるのである。

現在ではロシア軍兵士の正装時の装備品に制定されているらしく、言わば国家を象徴する刀なのだ。だがそれだけの情報では一体どんな剣術なのかという想像をするのは難しい。

一般的な日本人にはシステマだけでも謎が多い物なのに、更に少数民族由来の剣技となると、その知識はほぼ皆無に等しい。

私もコサックと言うと日露戦争の映画のワンシーンで出てきたコサック騎兵や、バトルフィーバーJのバトルコサックくらいにしかイメージが湧かなかった。なので、システマ初心者であった私としては事前にシャーシュカとその操作方についてもっと調べておく必要があった。

そんな矢先、私は友人から耳寄りな情報を聞きつけた。

彼がよく行く都内のロシア料理店でシャーシュカを使ったダンスのパフォーマンスが開催されるというのである。

なんでも、その店のロシア人従業員の一人が本国に帰国するので、その人の送別会を兼ねたイベントなのだそうだ。

わたしはその友人に頼んで店に連れて行ってもらうことにした。

シャーシュカのダンスを見ることができ、その上、ウォッカとロシア料理が付いて来る。これはもう行くしかない。

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コサック・サーベルことシャーシュカの構造

ロシア料理店での出来事について話す前に、コサック・サーベルことシャーシュカの構造について補足しておこう。

刃幅や全体的な刃の反り具合は日本刀に近い。

切っ先に至るまでの刃渡りは60~70cm程度で、これも日本刀の打刀(うちがたな)とほぼ同じである。

刃の部分だけを遠目で見れば、日本刀と見分けがつかないかもしれない。

だが大きく違うのは手で持つ部分、柄(つか)の形状だ。例えば日本刀の柄は30cm前後有り、両手で扱う事を前提としている。

これに対しシャーシュカの柄は15cm前後と短く、明らかに片手で扱うことを前提としている。またシャーシュカには戦っている相手の剣の刃から手先を保護する鍔(つば)やハンドガードといった物が無い。

どの地域、どの時代、どの民族の剣にも刃の部分と柄の部分を隔てる所には鍔が用いられるのが普通である。なのでこれはシャーシュカ以外の刀剣に馴れている人物からすれば、鍔のない柄というのは実は非常に恐ろしい構造なのである。

そして柄の先端、シャーシュカの尻の部分がアルファベットのJの字の如く折れ曲がり、まるで傘の持ち手の部分の太くて短いバージョンみたいな印象である。

しかしこの柄の構造こそが剣の扱いを左右するのである。

ロシア料理店で見たシャーシュカダンス

私と友人は一見すると喫茶店の様な外観のそのロシア料理点に足を踏み入れた。

私はロシア料理店そのものが初めてで、入店して直ぐに漂ってきたどこかエスニックな香辛料の香りと、焼ける肉の匂いに大いに興味と食欲をそそられた。

すると民族衣装を身にまとった男女5人程のロシア人の従業員の方々が私たちを出迎えてくれた。この店の常連である友人によると、普段の衣装は伝統文様の入ったエプロンだけで、ここまで正装するのは初めて見たそう。なので、彼もまた興味を引かれていた。

店には中央部にスペースが設けられており、以前ここで楽器の演奏会も行われたそうだ。シャーシュカのパフォーマンスは、どうやらこの場で行われるみたいだ。見渡せば席は満席で、カメラを持参してきた常連客と思われる人もいた。

徐々に興奮度が高まって行く空気間の中、満を持してシャーシュカのパフォーマンスが始まった。

拍手が湧きおこり、まず一人のロシア人男性がシャーシュカを帯刀して中央部に進み出ると、胸に手を当てて一礼。するとロシアの民族舞踊曲と思われる音楽が流れだした。

彼はまず鞘に入ったシャーシュカの鞘の部分を左手で水平にして持つと、次に右手を柄に手をかけた。

するとシャーシュカの折れ曲がった柄の先端に親指をひっかけ、数センチ抜き出すと、手のひら全部で今度はしっかりと柄を握り一気に剣全部を引き抜いてみて見せた。なるほど、その為の柄の湾曲であったのか。

馬に乗りながら左手で手綱を握ったまま右手のみで剣を抜こうとすると、仮に剣が硬く鞘に納められていた場合、しっかりと柄を握る手に引っかかる構造が必須であるということだ。

刀を垂直に維持する理由

一方シャーシュカダンスの方は、抜いたシャーシュカを胸の前で刃を垂直に立てて持ったまま、音楽に合わせながら足を踏みならすようなステップを踏むものだった。

ダンスは愉快な雰囲気なものだ。しかし、私は剣術的観点からその動きに注視していた。

あの垂直に刃を向けたシャーシュカのポジションは、恐らく長時間の抜刀状態でも手や腕を疲れさせないための物ではないかと推察できた。

日本刀の操作法でも時より論じられるのであるが、重たい剣をいかに軽く扱うのかという場合、刀を垂直に持ち上げる方が横にして持ち上げるよりも軽く感じるのである。

するとこのダンスは下半身を動かしながらもシャーシュカを持つ手を安定させる為の立派なトレーニングとも考えられる。ステップの方も段々と激しくなっていくのだが、上半身とシャーシュカを持つ手は垂直に維持したまま微動だにしない。

このダンスは最後には飛び跳ねる様な動きになりフィナーレを向かえた。湧き上がる拍手。

私は初っ端からすっかり見入っていた。

彼はシャーシュカを一度、頭上から払うように振り下ろすと、その勢いのまま滑らかに鞘に納めた。

そしてまた胸に手を当てて何度も礼をした後、下がって行った。

主役は刀か人間か

すかさず音楽が変わると、今度は女性が前に進み出た。

拍手と礼の後、女性は鞘に収まったシャーシュカを左手に立てて持ち、そのまま柄に右手をかけ、今度は頭の上で大きくシャーシュカを抜刀した。

すると音楽に合わせ頭上でシャーシュカを、まるで体のラインをなぞるかのような軌道を描く様に振り回し始めた。

さらにグルグルと本人も旋回するステップを踏み出した。そして時よりシャーシュカを払う様に振り下ろす。

ひらひらと舞う衣装も相まって可憐にもみえるこのダンスであるが、ここでも私は剣術的な観察を忘れなかった。

このダンスは正に剣舞であるが、日本の剣舞とは全く違う。

それは当然発祥が違うのだから、音楽も衣装も違うに決まっているのは当たり前である。しかし私が言いたいのは、そういった見た目的な部分の違いについてではなかった。

わたしが気付いたのは剣の扱い方、剣の存在の立ち位置である。

もっとも日本の剣舞でも刀を自在に操るのが要点ではある。シャーシュカダンスもそうであろうが、日本の剣舞との根本的な違いが見て取れる。

それは動作上の人間と剣との関係性の違いである。

それはどういうことかと言うと、日本の剣舞では剣を持った人物が舞い、そして剣を捌く。舞踊とは言え、闘う敵を想定しているので剣は隙を作らず人間の手足の延長のように、完全にコントロールされていなければならない。

つまり動作の主役は剣を持つ人間であり、人間の動作に合わせて相応しい操作を行うのである。

ところがシャーシュカダンスはそうではない。

最初はシャーシュカを扱う人間が舞う動作を作り出すのであるが、それは本当に最初だけで、シャーシュカを振り下ろす動作もシャーシュカを払う動作も、まるで刀剣の重さと勢いに任せるがままなのである。

それはダンスのステップも同じで、シャーシュカがとある方向に捌かれるなら、人間の体はつられてその流れに乗った結果、勝手に移動させられているといった感じなのだ。

この人間とシャーシュカの関係性は、例えるならまるでダンスのペアの様である。シャーシュカが持つ人間の動作をリードして、それに従う人間。

このダンスの主役は人間とシャーシュカの2つなのである。

もちろんダンスを舞う人間がちゃんとシャーシュカをコントロールをしているはずなのだが、見ているとそういった錯覚を感じえないのである。

シャーシュカの刃が湾曲している理由

この何とも不思議なシャーシュカダンスの持つ魅力は、私的な独断と偏見による考察からすると、この様な見所があるのである。

そしてその動作を見れば、自ずとシャーシュカの独特な柄の形状の理由も見えてくる。

シャーシュカは日本刀の様に切り込むのではない、払うように振るのだ。だから手にひっかるように曲がっているし、それが振り切る時の遠心力に負けて手からすっぽ抜ける事がない様にするためでもあったのだ。

鍔がないのは、剣を交える時に刃で押し合う鍔迫り合いを想定していないためだろう。

もし敵の剣とシャーシュカが接触したら、シャーシュカの刃の湾曲に沿わせ、受け流す様に敵の刃を払うのだから鍔はむしろ邪魔なだけである。

なるほど、最初は奇妙に感じていたその形も、いざその理由を知れば納得せざるをえない。

とりあえずこの女性のシャーシュカダンスは音楽と共に見事なフィニッシュを向かえ、盛大な拍手喝采を浴びたのであった。

もちろん私も友人も惜しみない拍手で彼女を称えた。ダンスや歌はその後も続いたが、それは割愛することにする。

と言うのも、この後あたりからウォッカの酔いが回ってきて、しっかりと内容を記憶できているか自信が無いのである。

ミカエル・リャブコ師のセミナーで答え合わせ

ついに迎えたシステマ創始者、ミカエル・リャブコ師のセミナー当日。

先んじてロシア料理店でのシャーシュカダンスを見て得た感覚は正しいのか否か。成果は直ぐに証明された。

リャブコ師はシャーシュカを使ったワークで、シャーシュカを垂直に持ち、重さを感じないポイントを探す様にと言うのだ。

そうこれは正に、例のロシア料理店で見た一番最初のダンスで感じたシャーシュカの重さを感じないように胸の前で垂直に持つ動作の分析とピタリと一致したのである。

因みにセミナーのワークでは、これを立った状態だけではなく、座ったり寝た状態でもやってみる様にリャブコ師は指示した。

システマにおいてもシャーシュカをいかに身体的な負担を少なくして扱うのかが重要である、この原則は間違いないようだ。

さらにシャーシュカを振るワークでは、シャーシュカの流れを一度も止めることなく、力の方向に逆らわずに動かし続けるという論理が説明された。

これもやはりシャーシュカダンスで見て感じた剣捌きの理論とほぼ変わらない。自分の感性もなまじ捨てたものでもないと、ワークの説明を聞いているときに少し感動していた。

とは言え、論理は分かったしても、実際にスムーズに出来るのであれば苦労はしない。実際にやってみると、やはりそうそう上手くは行かないものだ。結局セミナー中は悪戦苦闘しっぱなしで、余裕なんてものは無かったのである。

しかしながらセミナーは楽しかったし、初めてミカエル・リャブコ師と会うこともできた。

そして脳内理論と身体感覚はまた別物なのだと改めて思い知る事もできたと言う、非常に有意義な体験であったのは間違いない。

(文・門客人)