2000年6月、私はアマチュアボクシング全日本実業団選手権という予選すらない誰でも出場できる大会に出場し、遠征先の和歌山から東京に帰ってきた。
ちょうどその時、世界ライト級タイトルマッチ王者ヒルベルトセラノvs挑戦者畑山隆則が行われた。
1999年6月、当時世界スーパーフェザー級チャンピオンだった畑山隆則は5回KO負けで世界タイトルを失った。デビュー以来初めての黒星、試合後畑山はあっさりと引退を表明した、まだ23歳だった。
青森から東京にやってきた畑山隆則
青森の不良少年だった畑山は高校を中退して上京、世界チャンピオンになるためにボクシングを始めた。きっかけはテレビで辰吉丈一郎の試合を観たからだった。
「こんな不良でも世界取れるんだ、それなら俺にもできる!」そう思ったとのちに彼は語っている。
青森から鈍行列車で6時間、ようやくたどり着いた東京の地。しかし田舎から出てきた少年がいきなり輝けるほどボクシングの世界は甘くはなかった。当時畑山が在籍していたのは都内でも指折りの名門ジム、アマチュア経験のない彼は簡単には教えてもらえなかった。
引退を表明した畑山隆則
半年ほどして畑山は移籍を決意、パラパラと専門誌をめくっていると目に留まった文字は「柳和龍トレーナー、韓国で世界王者2名育成」だった。畑山はすぐにそのジムに移籍した。
柳トレーナーはすぐに畑山の才能を見出しここから二人三脚が始まった。
1RKO勝ちでデビュー戦に勝利した畑山はまたたくまにスターダムにのし上がる。全日本新人王、東洋太平洋タイトルと獲得して11連続KO勝ちも記録した。(当時の日本3位タイ記録)。
しかしデビューから20連勝(16KO)でむかえた世界初挑戦で痛恨のドロー、序盤を優位に戦いながら後半スタミナ切れと王者の猛烈な追い上げで世界まであと一歩とどかなかった。
11か月後のリマッチで見事に雪辱を果たし世界の頂点を極めた畑山であったが初防衛戦では2Rにダウンを喫して辛くもドロー防衛、そして2度目の防衛戦で敗れ引退を表明した。
畑山隆則、半年後に引退を撤回!
しかしここからが何とも破天荒な畑山らしかった、わずか半年後に引退を撤回1階級上のライト級でのカムバック。
そして復帰戦がいきなりのタイトルマッチという異例の世界戦であった。
しかし畑山自身も語っているように戦前彼には勝算があった。
チャンピオンのセラノは決して攻略の難しい選手ではない。前回の防衛戦でも1Rにいきなり2度のダウンを奪われるなど苦戦の末の勝利だったし、比較的ミドルレンジ以上の距離で戦うのが好きな選手ではあるがサイドステップもそこまで上手くはない。
畑山陣営にとっての懸念材料は3つあったという。
- これが1年ぶりの試合であること
- 1階級上のライト級での試合であること
- 柳トレナーと決別していたこと
柳トレーナーは畑山の引退後名古屋のジムと契約して専属のトレーナーとなっていたのである。
ヒルベルトセラノvs畑山隆則の試合展開
試合当日 東京有明コロシアム。雨の中詰めかけた約1万人のファン。
私もこの試合はジムの会長夫人と現地まで観に行っていた、ジムの先輩がアンダーカードででていたから応援を兼ねてである。
やはり畑山は集客力のある人気ボクサーだ。両選手が入場して国歌吹奏、コミッショナー宣言と世界戦独特のセレモニーが進んでいく、そしていよいよ試合開始のゴングが鳴った。
1R。ゴングと同時に頭を振りながら前進する畑山、迎え撃つチャンピオンは長い距離から左ジャブをついていく。明らかに硬そうなチャンピオンの左ブロー、これまで19勝中16KOをマークしている。
1分過ぎ、畑山の右のオーバーハンドがチャンピオンのこめかみにヒット、王者の膝が揺れる。畳み掛ける挑戦者。畑山攻勢のまま第一ラウンドが終了した
2R。チャンピオンに前のラウンドのダメージは見られない、打たれもろい反面驚異的な回復力を誇るセラノ。
距離を取りながら左を飛ばす王者、ノーモーションから繰り出される左フックとアッパーで畑山の前進を食い止める。ロープに詰まる場面も見られるが決定打の出ないラウンドであった。
続く3R、4Rも似たような展開になる。しかし4R途中から畑山の左目の下が少し腫れはじめる
5Rに試合が動いた。30秒を過ぎたあたりで挑戦者の連打から右のショートアッパーがヒットしてダウンを奪う。会場は大歓声、その後も攻め続ける畑山、抜群のスタミナを誇っている。
終始畑山が攻めながらも辛うじて逃げながら回復を図るチャンピオン、しかしダメージがあるのは明らかである。
6R。開始のゴングが鳴ってもチャンピオン陣営のセコンドがリングから降りない、時間稼ぎをしているのが明らかだがあまりにもあからさまな行為である。私はこのチャンピオン陣営の行為に対してレフリーが減点を取らなかったのが不思議だった。
このラウンドもチャンピオンは常にロープを背負いながらの戦いになった。畑山陣営のルディーエルナンデストレーナーからは上下の打ち分け、腹を打てとの指示が飛ぶ。ルディートレーナーは新しく畑山が指示を仰いでいる人物で元世界王者ヘナロヘルナンデスの実弟である。彼もまた多数の世界チャンピオンを育成している名トレーナーだ。
続く7Rも似たような展開になる、前進しながらパンチを繰り出す挑戦者、ロープを背負いクリンチで切り抜ける王者。畑山はこのラウンドに右のショートストレートでダウンを追加している。
そして8R。序盤から連打をまとめて畑山はダウンを追加、立ち上がってきたところを再び連打で王者をキャンバスにひざまずかせる。再び立ち上がる王者、しかし畑山の勢いは止まらず、このラウンド3度目のダウンを奪い勝利をおさめた。
試合後に前王者セラノに出くわした
大号泣での栄冠となったスーパーフェザー級時代と違って笑顔での栄冠となった今回、日本人4人目の(当時)二階級制覇。そして日本人として2人目となる伝統のライト級タイトルの奪取となった。
試合後私は会長夫人と共にアンダーカードに出場した先輩に会うために関係者専用口から選手控室に向かった。
その途中で前王者セラノに出くわした。リングで見るよりやはり小さく見える。話しかけることはしなかったが、私は心の中で「おつかれさま」と労いの言葉をかけた。
日本の裏側からやってきて世界王者の肩書を失った前チャンピオン、控室に向かうその背中はやけに寂しく見えた。
(文・takito)