大学柔道部時代の私の恩師についてお話しさせていただきます。私は中学から柔道をはじめ、地元のT県立K高校に入学し、そのあとは九州のk大学に進学しました。
その当時の監督は、世界選手権の出場経験もあり、全日本のコーチでもあったN先生でした。
N先生は基礎トレーニングに非常に厳しく、私たち学生は毎日早朝6時から陸上部並みに走らされました。しかし、N先生は私が1年生の時にとある学院大に異動されてしまいました。
ソルトレークシティ五輪 柔道金メダリストが監督に
その後に監督になった先生についてお話しします。N先生のあとに監督になったのは、東京オリンピック候補でもあり、その前年に行われた東京プレオリンピックでも優勝されていたS先生でした。
SN先生の後にソルトレークシティ世界選手権でも、教員でありながら金メダルを獲得したという輝かしい実績の持ち主です。
S先生は、福岡県のK商業高校を卒業したあと東京教育大(現、筑波大)に進学し主将を務められた名選手でした。軽量級でありながら全日本選手権にも出場され、後に全日本選手権チャンピオンとなったほどです。
その後、新日本プロレスに入社し、坂口憲二さんの父親でもある坂口征二選手に小内刈りで一本勝ちしたこともある、伝説の選手でした。
ゼミに入り、柔道以外にも学ぶ
S先生の口癖は、後の先というのが口癖でした。S先生のすくい投げは、柔道専門誌である、近代柔道にも掲載されたほどのキレ技でした。
そのような素晴らしい経歴を持った先生であったので、私は迷わずs先生のゼミを選びました。
S先生は猪熊功先生とは兄弟みたいな関係で、当時の凄まじい稽古のお話しなどを私たちに色々教えていただきました。ゼミの授業は午前中であったので、S先生からは栄養をつけなさいと、学生では食べれないような高級レストランに、毎回連れて行ってもらうなど楽しい時間を過ごさせていただきました。
S先生はとても柔和な方でしたが、「礼儀作法を守らないと社会に出ても通用しないぞ!」が口癖でした。
「柔道だけではダメだぞ!」の教え
S先生からは、「柔道だけではダメだぞ!広い視野を持って卒業しなさい!」と常々言われたのを覚えています。大学四年の秋ごろ先生が就職先について相談に乗ってくれました。1つは神奈川県、そして、東京都の建設会社、あとは国家公務員への道でした。
s先生は、オリンピック金メダリストのK先生と旧知の仲でした。私はK先生のすすめで国家試験を受け、国家公務員の道を選びました。
一番嬉しかったのは、就職して間もない頃にs先生がわざわざ私の職場まで電話してくださって、「初任給はご両親に記念品を必ず買ってあげなさい、それが両親に対する恩返しだぞ」という内容の電話でした。
今から約20年ほど前の事ですが、今でも心に残っています。s先生はその後2005年に、K大学を退職されましたが、私にとってはかけがえのない大先生でした。大学を卒業してから、会うことはありませんでしたが、元気なうちにもう一度お会いできたらいいなと思っています。
(文・ダッカー)