一生懸命なだけではダメ?空手師範が教えてくれた目的を意識した稽古

血の気の多かった1980年代、私は高校生で「誰よりも強くなりたい」と常に考えていていました。

丁度そのころ「空手バカ一代」の大山倍達や、ゴ-ルデンタイムのプロレス放送で見たアントニオ猪木に憧れ、「いつかは俺も彼らのように強くなってやる」と、将来はプロレスラーか空手の選手になりたいと思っていました。

年配なのに気さくな空手師範

高校の部活に柔道部はありましたが、空手部やプロレス部はなかったので近所にあった空手道場に入門しました。

その道場の師範は竹を割ったような明るい性格で、私たち学生の入門生に気軽に話しかけてくれました。

道場全体の雰囲気も自分の予想に反して和気あいあいとしていましたが、稽古中の師範の表情、態度は人が変わったように厳しく、体罰のような顔面ビンタが容赦なく飛んできます。

「強くなりたい」どころか、「果たしてこれでやっていけるかどうか」という思いに変わりました。

ただ、稽古が終わった後はいつもの明るい師範に戻りました。私はそれまで年配の方でまるで仲間のように話しかけてくれたり、ユ-モアたっぷりで接していただいた方は初めてでした。

「年配の方でもこのような方もおられるのか」と新鮮な気持ちでした。

また、私が高校受験に専念するために道場を辞める話をした時も快く受けれ入れていただき、それどころか「お前をこの道場の永久会員にしてやる。好きな時に練習しに来ていい。ダンベル等の道具も使っていい。」とまで言ってくださり、感謝の気持ちと同時に心の広さも感じました。

目的を意識して稽古すること

稽古は厳しいだけではなく、ちゃんとした目的意識を持って稽古をすることを意識づけられました。

少し専門的な話になりますが、例えば突きの練習の場合は腕をめ一杯伸ばすのではなく、対戦相手の胸を想定して相手の胸の前で自分の拳を止め、その後自分の防御のために伸ばした腕を直ぐ戻してファイティングポ-ズをとるようにと教わりました。

一生懸命稽古するだけではダメ

私が師範によく言われたことは「稽古は顔でするな。」ということでした。

ただ一生懸命やるだけではだめ。一生懸命やることは当たり前。がむしゃらにやらないで突きの練習ならばどこにどういう意識をもってやらなければならないか。ひとつひとつ意識して稽古に臨むことが必要だということを教えていただきました。

猛突猪進を戒める愛のムチ

私は猛突猪進タイプだったので「いかに落ち着いて試合に臨むか」ということも教えて頂きました。

構える時に前かがみになるくせがなかなか治らなかったのである時、組稽古で私と対戦する先輩に師範が何かを指示しました。

そして、先輩と稽古が開始になるや否や私はいつものように突進、先輩の上段回し蹴りで足指が私の目の付近に当たり痛い思いをしたこともありました。

これは「ちゃんとした基礎的なことを守らないとこのような危ないことになるんだよ」という師範からのメッセ-ジだと感じました。

自分が如何に落ち着きがなく、相手に対する構え方もなっていないかを教えるための愛のムチだと思っています。

空手で学んだことは仕事や生活に生かせる

空手師範に教わる前の私は「自分の力なら一生懸命やればなんとかなる。」という考えでした。

しかし、空手でいえば「自分の弱点は何か?それを克服するためにはどういった練習が必要か?」「この稽古での大事なポイントはなにか?」「ライバルは何が得意でどういう特徴があり、どうしたら勝てるようになるか?」を考えることが大切です。

今は空手はやっていませんが、その考え方は自分の仕事、生活面にも役立っています。師範から教えて頂いたことを忘れないで物事に対処するようにしています。

空手を学ばなければ果たして今の自分はどうなっているか想像もできません。師範には感謝の言葉しかありません。