初代タイガーマスクの引退試合は唐突にやってきた。
僕は当時プロレスが大好きな柔道部員だった。部では一番身体が小さく、最弱の部員だった。
他の部員と同じ技を使用してもすべてきり返される。そこで考え、プロレスのテクニックを応用して取り入れてみた。
基礎体力作りもスクワットやブリッジを一人自宅で行っていた。柔道とプロレスに通じるものは意外に多かった。さすがにプロレス流のバックドロップは使えないが、裏投げとバックドロップの中間のような捨て身技を使ったりした。
練習試合では相手が背負い投げや体落としをかけてきた時に、そのまま相手のバックを取り後方に投げる捨て身技だ。綺麗な一本は取れないが、決まると有効か技ありにはなり、そのまま寝業に持ち込み勝利することが出来た。
見よう見まねながら、プロレス式のグラウンドテクニックや、タイガーマスクの独特なムーブを取り入れるなど、プロレスと柔道をミックスしたような動きをし、試合でだんだんと勝てるようになってきた。その後、念願の黒帯も取ることも出来た。
一度、市の柔道大会で観客にアピールするような態度をとり、審判に厳重注意されてことがあった。
柔道のスタイルをがらりと変えてしまうほどにプロレスに熱中していた。そのきっかけを与えたのは初代タイガーマスクだった。僕にとっての神とも言うべきタイガーがマスクを捨て素顔を公表してしまう。
週刊プロレスに素顔を晒したタイガーマスク佐山サトル
タイガーマスクの原作者梶原一騎からの決別のため、新リングネームが用意されるという。時の人になったタイガーマスクには、もはやプライベートすらない。
新日本プロレスブームにより会社の収益はうなぎ登りになったが、不満分子も多くクーデーターが起きかかっていた。どの派閥もタイガーマスクを味方に付けたかったが、純粋な佐山青年は、すべてを捨てて消えてしまう。
そして佐山の素顔が週刊プロレスの表紙になる。神の素顔を知ってしまった瞬間である。
タイガーマスク引退試合の相手は寺西勇
タイガーマスクの引退試合の相手は寺西勇。とにかく人気がなかった。ダイナマイトキッド、ブラックタイガー、小林邦明の3大ライバルに比べると明らかに実力は3枚は落ちる。
国際プロレスの残党としていつも観客から罵声を浴び、勝った試合は一度も見たことがない。試合中はいつもやられているイメージが強く、当時の弱いレスラーの代名詞だった。
タイガーは前月にも寺西と対戦していたので、その日も僕はワンサイドの勝利を期待した。やはりその日もタイガーマスクの一方的な攻撃になった。
キックの乱れうちに、チキンウイングアームロック。いつもより荒っぽいファイトに感じる。寺西はサンドバック化した。
寺西勇へのイメージが変わった
しかし、寺西は前回の戦いとは違った。勝負に焦ったタイガーマスクに足攻撃を仕掛け動きを止める。国際プロレス出身者は、不思議な技を使う。見たこともない足首を決める技も使う。
元国際プロレスエース、ビル・ロビンソンのようなバックブリーカーなども見せ、必殺のジャーマンスープレックスでタイガーマスクを追い込む。
寺西の攻撃はここで力尽き、最後はタイガーマスクのオリジナルホールド猛虎原爆固めでマットに沈められた。寺西勇の新日本プロレスのベストバウトであった。僕の寺西勇への印象は、正直、強く巧さを感じるレスラーに変わった。だが、この対戦は2度と行われることがなかった。この試合を最後に、タイガーマスクは引退した。
マスクを脱いだ佐山サトルのその後
この試合をもって、僕のプロレスの伝道師、そして神化したタイガーマスクは消えた。
まさかその試合が最後でタイガーマスクが消えるとは思いもしなかった。改名しても、マスクが変わってもいいから佐山サトルにはリングに上がってほしかった。
だが雑誌やバラエティ番組で素顔を公開していく、その笑顔には安堵の表情が見える。言葉の一つ一つが優しく、純粋な一人の青年になった佐山サトルがいた。
余談になるが、その後プロレスを否定し続け、虎の仮面を否定した佐山サトルが、プロレス界に戻ってくる時が来るとは思わなかった。そこには20キロ以上増量した、上半身もコスチュームに隠し丸々と太った虎のマスクがいた。
だが、マスク越しに見せる瞳は、青年佐山サトルと同じ優しい瞳だった
(文・GO)