10年ほど前、ムエタイの本場で練習し、試合に出場した。
タイでは、外国人向けジムの一般会員としてではムエタイの試合に出ることはできず、タイ人選手向けのジムに所属する必要があった。
所属したジムの会長は50代半ば位の年齢で、出会った当初は気難しい印象で接点は少なかったが、試合が近づくにつれて徐々に直接指導してくれるようになってきた。
本場タイの非主流派、「倒すムエタイ」の会長
会長は近代ムエタイでは非主流派となっている「倒すムエタイ」を志向しており、ジムの所属選手は大人、子供問わずKO勝ちする確率が他のジムと比べて高かった。
当時、ジムの所属選手が出場する試合の応援によく行っていて、その際に会長はプロモーターに自分を売り込んでくれたりした。ドンムアン空港近くの会場で行われた興行で印象的な出来事があった。
ある試合を会長の横で観戦していた際、2ラウンド目が終わった後、「どっちが勝つと思う?」と会長に聞かれた。1、2ラウンド通して赤コーナーの選手が優勢に試合を進めていたので「赤が勝つと思います」と答えたら、分かってないなという表情で「青だよ」と言われた。
結果、3ラウンド目以降は青コーナーの選手が首相撲からペースをつかんで劣勢をひっくり返して判定勝ちした。漫画で見る達人みたいな人だなと感心した。
ガチスパー中心の練習方法
会長からは、相手を倒すための実戦的な練習メニューを課された。試合1か月前からは、ジムに着いた直後に14オンスのグローブを渡されて、準備運動なしで3分3ラウンドのボクシングスパーリングから毎日の練習が始まった。
スパーリングといってもマスではなく、ほぼ全力の所謂ガチスパーで、スパーリングパートナーは自分より5キロ程度体重が軽い高校生1年生の選手であった。
体重差の分、パワーは自分の方があったが、テクニックは幼少からやっている相手の方が上で、日々一進一退の勝負をしていた。体重差があるとはいえ、ムエタイ選手のパンチを顔面に受けると相応のダメージを受ける。
唇を切ったり、アゴが痛くて食事ができないこともあったが、その状態でも毎日のスパーリングは続いた。ジムに行くのが毎日憂鬱で仕方なかったが、それ以上に試合に出場したい気持ちの方が強かった。
アゴが痛い状態でスパーリングをする際に「もう一発いいのをもらったらヤバい」と考え、しっかりとガードを固めるようになり、徐々に急所にクリーンヒットをもらわないようになってきた。ミット打ちでは1発1発を全力で打つことを徹底され、1ラウンド毎にスタミナの限界まで追い込まれた。
中でも右のパンチは徹底的に反復して打たされた。首相撲の練習では相手を動けない状態にロックしてみぞおちに膝蹴りを入れることに重点をおいて、10分2~3ラウンドを毎日やった。
タイで経験したムエタイの試合
自分の試合は港町の会場で行われ、地元の漁師が練習しているジムの選手が相手だった。
見るからに荒くれものという風情で、セコンドにもガラの悪いお兄さん達がついていた。相手のファイトスタイルも見た目通りで、1ラウンドからパンチ、キックをガンガン打ってきた。
1ラウンド目は、自分の攻撃は相手の圧力に跳ね返され、ディフエンスするのが精一杯という状態だったが、スパーリングを通じて体で覚えたガードが功を奏して致命的な攻撃はもらわなかった。
2ラウンド目、相手のスピードが落ちてきたところにカウンターで右フックを全力で打ち込みダウンを奪った。その直後に攻撃をまとめて再び相手倒れたところでセコンドがギブアップの意思表示をしてTKO勝ちすることができた。
会長は、自分がパンチに対するガードが甘いこと、倒せる可能性のある武器は右のパンチであることを見抜き、弱点を克服し、長所を伸ばすための練習を組んでくれていたことに試合後気付いた。プロの仕事だった。
この経験を経て、仕事において自分の専門分野では普通の人が見えない部分まで見極められるようになることを意識するようになった。
(文・K-沢井)