格闘技をする人なら誰もが得意技を持っている。
得意技の誕生には、センス、経験、成り行き、こだわりなど、色々な要素がからみあう。蓋を開けてみなければ分からないのが面白い。
60年代、ボクシングブームの真っただ中。1日も休むことなくジムに通う青年は、剣道経験、初スパーの手ごたえ、そして、あこがれの選手のイメージを重ね、得意技を生み出していく。
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私は高校二年生のときに大阪のあるジムに練習生として入門しました。動機は学校に行く途中にそのジムがあったのと、以前からテレビでボクシングを見て、「一度自分でやってみたらどんな感じなのだろう」という好奇心からです。
当時はボクシングのテレビ中継が週に8回もあった時代(ほとんどが生中継)でした。私のように好奇心からジムに入門してくる人は多かったです。
剣道経験から右利きサウスポーに
私は右利きですから、本来なら左手、左足を前に出して構えるのですが、中学の時に剣道をやっていた習慣からか、右手、右足を前に出して構えるサウスポースタイルを選んだのです。
それにその当時絶大な人気を誇った東洋フェザー級チャンピオン関光徳の大ファンだった私は、当然のごとく彼の様に左構えにしました。
ジムが休みの日曜日以外は1日も休みませんでした。来る日も来る日も、鏡の前で右ジャブと左ストレートのシャドーボクシングの繰り返しで、いい加減単調さに飽きが来た頃、リングの中に入ってシャドーをやってみろとトレーナーに言われて、ロープをくぐった時の高揚感は忘れることができません。
初スパーリングでカウンターに手ごたえ
約1カ月位経ったとき、トレーナーから、突然、「どうだ、いっぺんスパーリングをやってみるか?」と言われました。
相手は私と同じ頃に入門した、おとなしそうな高校生で、何度か着替え中に話をしたことがありました。
重たいヘッドギア―と大きい14オンスのグローブをつけて(現在はヘッドギアが改良されているので、普通12オンスを使う)、右構えの高校生と2ラウンドのスパーに入りました。1ラウンド目は相手のジャブが来たら、怖くて思わず目をつむってしまいましたが、相手も同じです。お互いにまだワンツーストレートしか習っていませんでした。
頭のどこかに関光徳のことが常にありました。彼のスタイルを真似て、右手を高く掲げて相手の左ジャブに合わせてそのジャブの上を自分の右ジャブをかすらせる様にして出すと、これがカウンターパンチとなって、相手の顔面にヘッドギア超しに何度か当たりました。
カウンターパンチというのは車の正面衝突と理屈は同じで、威力は倍になります。
重いグローブと生まれて初めての実践スパーリングで、2ラウンドがこんなにも長いのか、と恐れ入ったのを覚えています。ラウンド終了のゴングが鳴った時には、「ありがとうございました」の挨拶と同時にその場にへたり込んでしまいました。
これ以降、サウスポーの私は右を相手のパンチに合わせて打つ癖が付き、良く言うと上手なカウンターパンチャー、悪く言うと、相手のパンチ待ちの手数が少ないボクサーとなりました。
練習を続け右フック二段、三段打ちに発展
練習を続けていくと、そのうちにフックもアッパーも自然と打てるようになり、そして私は関光徳の18番の右フックのカウンターを何度もシャドーボクシングを繰り返して、(右利きの)相手が右を打つその時に合わせて右フックを相手の顔面目指して打つ練習をひたすら繰り返しました。
相手が右を出す動きに合わせてサウスポーの私が右フックを打つということは相手のパンチがこちらに届く前に自分のパンチの方が先に当たる事になり、相手の受けるダメージは甚大です。
ただ、この相手に先にパンチを出させて、それを迎え撃つというカウンター戦法ばかりに頼ると相手に悟られるので、動きながらパンチを上下に散らす事が大切です。必ず相手はどこかで右のパンチを打ってきます。利き腕のパンチを打たないボクサーはいないのです。
上手く散らすパンチを練習で繰り返すことによって、右フックのカウンターをタイミングよく打てる様になり、私の得意技になりました。
カウンターで相手がよろめいたら、間髪入れずに右フックの二段打ち、三段打ちで攻め込みます。こうすると、自分のバランスはあまり崩さず相手にダメージを与えることが出来ました。