私は17歳の時にプロボクサーとしてデビューし、勝ち負けを繰り返した後、視力低下で引退を余儀なくされました。
その後、トレーナーや雑用などでジムに残り他の選手のサポートを始めた頃のことでした。
高田(仮)という1人の少年が入門してきました。
元不良がボクシングジムにやってきた
小柄な体に鋭い目つきが印象に残っています。
聞いた話では、他県出身の札付きの悪。何かの事件を起こし退学になって遊んでいた所を、母親の頼みでジム関係者の叔父が左官の仕事に就かせ、そのときの条件がボクシングをやって公正することだったそうです。
この高田、目つきと裏腹に話しやすく言う事もよく聞くので、本当に元不良か?と何度も思いました。ボクシングに打ち込んで数カ月後には刺々しさもなくなりプロボクサーを目指すことに。
そこでトレーナーの中でも年の近い私が教える事になりました。
ボクサーとしての能力は比較的高く、サウスポースタイルで数カ月後には先輩ボクサーと互角に戦えるレベルに。
プロテストも1発合格。
即デビューしてKO勝ち。
その後も3連勝し破竹の勢い。
私もトレーナーとして非常に嬉しくタイトルも夢ではないと思っていました。
ライセンス停止処分、少年院へ
そんな折、ある事件がきっかけでキャリアが途切れることになります。
それまでの戦績は、Lフライ級4回戦、4戦4勝2KO。次の試合でB級に浮上しB級トーナメントにエントリーする予定でした。
急に連絡がつかなくなったかと思うと、2日後に思いがけない事態に。
ジム関係者の身内の叔父さんから「高田が逮捕された」と聞いたのです。同じジムの他の練習生2人も一緒だと。
私は何がなんだか分からないまま、情報を待つしかありませんでした。
地方ニュースになるほどの犯罪に加担
逮捕容疑は500円の偽造硬貨を作り、自販機に投入して返却レバーで取り替える、というものでした。
首謀者は同ジムの練習生。当時、20代後半で私は話をしたことはなかったのですが地下格闘に参戦していると噂されていた者でした。もう1人はその首謀者の子分。
そして高田はこの事件に使用された硬貨を作っていました。
この偽造硬貨事件は地方ニュースにも取り上げられる、ちょっとした大事件でした。
彼がその様なことをしてしまったこと、何の相談もなかったことに落胆しました。
事件の数カ月後にはライセンス停止処分。高田の起こした事件で下った罪は1年間の少年院送致でした。
少年院からボクシング復帰へ
3カ月くらい経った頃、少年院から手紙が届きました。
謝罪とボクシングを続けたいという内容でした。私は心を決めて待つことに。
短いようで長い1年間を待ち、退院してきた彼に会いに行きました。
高田は深々と頭を下げ、私と先輩ボクサーと一緒に練習したいと涙ながらに訴えてきました。
私たちはもちろん快諾。会った翌日からトレーニングを始めました。ジム関係者の叔父さんの協力でプライベートも管理してもらい、高田本人は窮屈だったでしょうがよく頑張りました。
世界チャンピオンからの対戦オファー
それから約半年後にはライセンス停止処分も解け試合が出来るようになり、オファーもきました。
私は徹底的に基礎とロードワークをさせブランクを取り戻したという自信があったので直ぐに試合を決めました。残念ながらこの試合には負けたのですが高田のがんばりは続きます。そして、日本ランカーに名を連ね出す頃にとんでもないオファーが。
当時の世界チャンピオンからの対戦オファーでした。日本未公認のチャンピオンでしたが歴戦の猛者。条件は、ベルトは掛けずのノンタイトル戦とのこと。私たちはやることを決断しました。
そして高田は、この試合に勝利するという快挙を成し遂げるのです。異常なタフネスを発揮しての判定勝利でした。高田はこの快挙で世界ランクに名を連ねる事に。
ボクシングに関わってよかったと思える最高の瞬間。努力は裏切らないと思える瞬間でした。
その後、高田は何度か国内のタイトルに挑戦するんですが届かずに引退します。引退する時、私はありがとうの気持ちで一杯でした。高田はボクシングを続けさせてくれてありがとうと言ってくれました。
そんな高田はジムの横にあった花屋でアルバイトをしていた女性と結婚し、子沢山の幸せ者になってます。
(文・ジャッカル雅登)