柔道学生全日本出場がかかった決勝戦、明暗を分けた残り0秒

柔道は、決められた時間内に一本を取るか、いかに多くのポイントを取るかによって勝敗が決まります。「待て」の時間には、タイムキーパーが時間を止めるので、それ以外の時間で競われます。

最後まで諦めるな、残り1秒まで気を抜くなという言葉は、格闘技の経験者や他のスポーツでも聞いてきた人は多いと思います。私もそのうちの1人で、監督や先輩たちから耳にタコができるくらい聞いていました。

試合で最後に気を抜くとどうなるか

試合は最後まで気を抜いてはいけない。このことを痛感した試合がありました。それは、大学2年生になってすぐ、5月の終わりに行われる全日本体重別学生選手権大会のブロック予選でのことでした。

私は、入学してすぐに大怪我をして手術をしました。半年かけてリハビリやトレーニングを積み重ねて復帰、稽古ができるようになったら秋から冬にかけて行われる強化合宿などにも参加して、メキメキと力をつけていきました。そして春、復帰して初めての試合がこの大会でした。

絶対勝てなかった先輩たちは引退していないし、ライバルの同級生も階級を上げたので、私の階級は、比較的楽にはなっていました。トーナメント表を見ると、決勝までは楽にいけるだろうという組み合わせだったのを覚えています。

このまま行けば判定勝ちの展開だった

その日は絶好調、減量もうまくいったのもあってか、予定通り決勝まではオール一本勝ちで上がりました。しかしながら、この決勝の相手こそが正に最大のライバルだったのです。

彼女は他県の選手でして、高校時代から毎回決勝で対戦していましたが、1度も勝てたことはありませんでした。

しかし、その日の私はものすごく調子が良くて、勝てるとしか思わないくらいの自信がありました。

決勝に上がるまでは、開始2分以内でオール1本勝ちをしてきたので無駄な体力を使うこともなく試合に挑めました。

そして迎えた決勝戦、最初から攻めて攻めて攻めまくって、ポイントは取れませんでしたが試合運びからすると、誰が見ても私が優勢な状態。判定なら間違いなく勝てる試合でした。

監督も、そのまま行けと合図を出してくれて、電光掲示板を見ると「残り5秒」、私は勝ちを確信しました。

「3、2、1、」と残り0秒になろうとしたその瞬間、ブザーと同時に、何と私は組み際の大内刈りを食らってしまったのです!
私は畳に背中を強く打ちつけられました。

技有り。それまで!

その瞬間、体から全身の汗が引いて、私は天井を眺めたままその場からしばらく動けませんでした。

残り1秒まで諦めるな

それは、残り1秒ではなく0秒でブザーが鳴り終わるまで諦めるな、気を抜くなということだったのです。

私は、残り1秒で気を抜きました。

逆に、相手は残り0秒まで諦めなかったのです。明暗は残り0秒でくっきりと分かれました。

鬼監督からかけられた言葉は?

私が握りかけていた全日本学生選手権大会への切符は、あっさりとライバルの手に渡ってしまったのです。涙が出なくなるまで泣いて、閉会式が終わってもずっと更衣室でうずくまっていました。先輩や同級生に抱き抱えられるようにして会場を後にしました。

先輩から、監督が後から部屋に来いと言っているぞと告げられ、また青ざめました。きっと怒られる…。

ホテルに戻り、恐る恐る監督の部屋に行くと、監督は座れと私に言いました。私が正座で下を向いていると、監督はこう言いました。

「いい試合運びだったぞ、お前が100%勝っていた。言わなくても分かるだろうから、今日はゆっくり休んでまた明日から頑張ればいい。来年は絶対全日本行こうな。」

普段は鬼の監督。世界レベルで戦ってきた監督からこんな言葉が出るとは思いませんでした。

私は、この監督から頂いた言葉をきっかけに、将来は柔道の指導者になりたい、いや、絶対なってやるぞと強く心に刻んだのでした。

残り0秒で敗退したこの試合は、私の将来を大きく変える試合になりました。あれから20年、当時テレビ放映されたVTRをyoutubeで見ていると、あの時のメンバーに、無性に会いたくなってしまう、今日この頃です。

(文・黒帯ももこ)