高校の柔道部に入部して1年以上が経ち、早々に初段への昇進をはたした私は、順調に柔道部員としての道を歩んでいました。
私は身長が高くて痩せ気味な身体的特徴のため、当時の階級別では軽量級の上の中量級に属していました。
そして左組手の内股を徹底的に修練したことで柔道経験が浅い割には試合などの実戦で運良く勝ちを収めることができていました。
長身、左組みの内股で有利な試合運び
未熟な私でも勝ちを得ることができた理由はいくつか考えられます。まず、左組手を選択した私にとって、練習から試合までのほとんどが右組手の相手になるため、常に喧嘩四つの組手を強いられて慣れていること。
かたや相手は左組手やその技に慣れていないことが多く、こちらが先に良い組手を取ることで試合を有利に運ぶことができたことが挙げられます。
また、身長の利を生かして上から奥襟をつかんで相手を抑え込み、動きを封じながら内股のチャンスを狙えたことも勝利を重ねることができた要因かもしれません。
中量級の選手は私に比べて身長が高くない選手がほとんどだったので、背負い系の技だけを特に警戒しながら上から圧力をかけ続け、後は内股の体勢に入ることができれば何とかなりました。
階級を上げ、柔道で初めてのスランプに
未開拓の若い肉体は練習をすればするほど筋力がアップし、それに伴い体重も増加していきます。入部当初はガリガリで細かった私も体力トレーニングで全身に筋力がついたために体格が大きくなり、中量級のリミットをオーバーするようになりました。
私の時代の階級制では中量級の上が軽重量級になります。軽重量級の選手は中量級に比べて見た目からしても大柄な選手が多く、パワーも強くスピードも兼ね備えています。
そして私は軽重量級に階級を上げたとたん試合で勝つことができなくなり、得意にしていた内股に自信を無くしていったのです。
柔道を始めてから訪れた初のスランプでした。
無意識に出した技がスランプ脱出のきっかけに
ほぼ内股の修練しかしていなかった私にとって、内股が通用しないという事実は致命的でした。
中量級よりも格段に重くてパワーもある軽重量級の選手が相手では、今までの私の利点がほとんど通用しませんでした。
それでも唯一無二の技だと信じていた内股の練習は繰り返し続け、ケンケン内股などのバリエーションも増やしていきました。また、先生や仲間のアドバイスを取り入れながら大外刈りや払い腰の練習も始め、勝てない状況を何とか打開すべく試行錯誤を繰り返しました。
悩みながら日々の練習を積み重ねていたそんなある日、重量級の部員を相手に乱取りをしていたときのことです。
いつも対戦している相手なので、私が内股しか決め技がないことを当然心得ています。得意の内股は警戒され、重量級の技を受け続けた私は、何の術もないまま守勢に立たされていました。
追い込まれた私は、無意識のうちに持っていた釣り手を軸に左回転し、右前方に体を捨てる技をかけました。
何かを意図したわけではなく、ただ苦境から逃げるためだけの、まさに窮鼠猫を噛むという状況です。
ところが気付いた時には受け身を取る大きな音とともに何と重量級の部員が私と畳の間に寝そべっていたのです。私の知る限り、部内での練習では一度も一本負けをしたことがない重量級の部員から奇跡的な一本を取ることができた瞬間でした。
私の中で何か細くてはっきりとした光が見えた気がしました。
ここぞという時に出す逆一本背負い
私が意図せずに出した技は、後から調べてみると「逆一本背負い」という技だということが分かりました。
光明を見出した私は、内股に続く決め技として左組みの逆一本背負いの練習を開始します。
私は左組手ですが元々が右利きなので、右利きの技をかけることに抵抗はありません。むしろすんなりと体が動いたといえます。
通常の左の一本背負いとは逆向きに技を発動するため、素早く技の体勢に入れば、完全に相手の虚をつくことができました。また、身長の高い私が背負い系の技をかけるなど誰も警戒していないため、逆一本背負いをより効果的に使うことができました。
何度も見せないから決まる逆一本背負い
左手の釣り手をしっかりと引きつつ、防御される前に素早く相手の懐内で左回転し、腰を落として重心を下げた体勢を作ることがまず重要です。
離した右手を釣り手の下に差し込み、最後は体を捨てて回転しながら自らの体重も利用して投げ切ります。決まれば少なくとも技あり以上は狙える大技です。
以後、左組手の技に入れない場合や、起死回生の技が必要な試合後半の場面などで、渾身の逆一本背負いを放つことが私の得意技となりました。
試合中に何度も試そうとせず、ここぞという時を見計らって一度だけ逆一本背負いをかける戦術が功を奏し、再び勝利することができるようになりました。そしてようやく私はスランプから脱出することができたのです。