病弱で強さには人一倍憧れていた自分。小学生時代にあしたのジョーを読み始めます。
そんな自分に大好きなボクサー、憧れのボクサーができました。
それは、リカルドロペス。彼は「はじめの一歩」に登場するリカルドマルチネスのモデルとなったことでも知られています。
長身のボクサーファイターで左ガードは目の高さ、ジャブをついてワンツーの基本に忠実なオーソドックスで、ボクシングの教科書みたいなボクサーです。
ニックネームは「フィニート」。
私はリカルドロペスのことを日本人チャンピオンの防衛戦で知りました。
大橋秀行vsリカルドロペス
大橋秀行は本人含む日本人世界戦21連敗という不名誉な記録を、左ボディブローで止め後楽園ホールを万歳三唱の嵐にした150年に1人と言われた天才です。
家族と見ていた1990年2月のボクシング世界戦での万歳三唱シーンはとても印象的でした。
同年6月、大橋秀行は井岡から王座を奪った元王者ナパに勝利して初防衛を果たし、同年10月2度目の防衛戦となるWBC世界ストロー級タイトルマッチ12回戦を迎えました。
テレビ朝日のエキサイトマッチでゴールデンタイムの世界戦です。とても華々しい雰囲気でした。
王者 大橋秀行(ヨネクラ)vs挑戦者 リカルドロペス(メキシコ)
の対戦が始まりました。
試合内容は1R目からチャンピオンがおされ何度かダウン取られた後に5RKO負け。決して弱いわけじゃないチャンピオンを相手にリカルドロペスはすんなりと勝ってしまいます。
公開練習の時に怪物が来たとの評判通りの圧勝。日本の選手が負けてショックだったはずなのに、私は挑戦者のボクシングのスマートさに魅了されてしまいました。
リカルドロペスのボクシングスタイルの魅力
後に伝説的なボクサーとなるリカルドロペスのボクシングスタイルは一貫した基本スタイル。
肩の力を抜いた自然体のボクサー。
派手ではなくかといって地味でもない。
その自然体から繰り出される強烈なワンツー。
相手の攻撃は受けない立ち位置。
飄々としていて読み取れない表情。
その全てが、子供だった私には鮮烈でした。
性格は至って真面目であると当時の新聞に書いてあり、余計に好きになった記憶があります。
そのリカルドロペスを知ってからはボクシング雑誌、TVでの世界戦、夜中に録画中継をやっていた日本タイトル戦。夢中になって見たり調べたりしている内に、ボクシングの虜になっていました。
リカルドロペスを目指してボクサーになる
その後、私はボクシングをやる事になるのですがジャブ、ワンツーの基本を徹底的にやり始める事に。
目標は高くリカルドロペスを目指していた時もありました。
リカルドロペスの練習の記事を読んで全く同じことを実践する等、多大に影響を受けました。
リカルドロペスは基本に忠実なボクサー。
当時のジムワークは、
- ウォーミングアップ
- ロープスキッピング×2R
- シャドー×3R
- トレーナーとのミット打ち
といったオーソドックスな内容だったようです。
決して特別な練習ではなく基本の反復と、確認を繰り返すような練習。
なので私も基本を中心にレベルアップを図りました。
スポーツの難しさや厳しさも覚えましたが一緒に入門した先輩、ジムの会長、トレーナーや仲間の励ましもありロードワーク、プロテスト、試合もこなせました。
私自身は世界チャンピオンどころか日本ランカーにもなれませんでしたが毎日が楽しく充実した日々を過ごしました。
ボクサー時代のメモの記録
視力の低下で競技は離れる事になりましたが、その後も約30年もボクシングが好きでいられること、競技をやっていた時からの仲間ともいまだに繋がりあること、たまに教えたり出来ること、全ては間違いなくリカルドロペスを知ったあの日が始まりでした。
当時、減量時に書いた自分のメモにはこう記されています。
「リカルドロペスに勝ちたい」
少しも届きませんでしたが、この気持ちを本気で思い挑戦出来た自分、ただただ純粋になれた自分。今でも大切な私の思い出。
そういえば、プロのリングに立ったとき対戦相手のボクサーから試合後に、「好きなボクサーはリカルドロペスでしょ?」って聞かれたっけ。
ほんの少し、リカルドロペスに近づけていたのかな。
(文・ジャッカル雅登)