1990年代、全日本プロレスブームが初めて起きた。三沢、川田、小橋、田上の四天王プロレスである。新日本プロレスマニアでもこの四天王プロレスは魅力的だった。
全日本プロレスが初めて新日本プロレスと肩を並べた。プロレスから離脱していた兄も戻ってきたほどだ。
僕も毎週、嫁とテレビの前で観戦した。新日本を超える過激な試合や名勝負を繰り返したが、ジャイアント馬場の死去という大事件により四天王プロレスは崩壊した。
ジャイアント馬場死去によるプロレス界の変化
猪木の新日本プロレスと、馬場の全日本プロレスにはベルリン以上の壁があった。
両団体にはテレビ放送があり、局との契約があるため、選手たちは基本的に他団体に登場できなかった。その壁は30年続いた。
しかし全日本プロレスの総帥ジャイアント馬場が死去した。団体は馬場夫人に引き継いだが、選手の確執がおこり、2名を残して大量離脱してしまった。
川田、渕だけの全日本プロレス。当然テレビ局の契約も切られ、意外な形でベルリンの壁が崩壊した。
全日本と新日本の対決が実現
三沢、小橋、田上らが離脱し独立する。そして二人だけの全日本プロレスの一人、渕正信が新日本プロレスのG1クライマックスのリングに颯爽と登場した。
スーツ姿の渕は大勢の観客の前で意気込みを語った。一生一大のマイクアピールである。僕は感動を通り越し身震いさえ起った。現場責任者の長州力と固い握手、そこにベルリンの壁崩壊を拒絶して吠えまくる蝶野が乱入した。
佐々木健介vs川田利明
東京ドームに川田利明のテーマが流れた瞬間、会場内にはどよめきが起こった。壁の隙間から黄色い光が入り込む。黄色と黒がトレードカラーの川田が登場する。
一方佐々木健介はビルドアップされた体にIWGPのベルト、黒のタイツ、まさしく新日本プロレス。6万人のなかで歴史的なゴングが鳴る。
睨みあいが続いたところで、川田はいつもの柔軟体操。そして組み合った瞬間の「ウォー」という大歓声だ。ベルリンの壁が崩壊し、何かが化学反応を起こしていく。川田の顔面蹴りを健介はかわし、パンチとキックの応酬の末、グーパンチで川田をKOする。
マウントの取り合いからパンチの応酬、健介のラリアットが火を噴く、あっという間の5分だ。まさしく息を止めているような錯覚が起きる。健介のパンチ攻撃に、川田の表情が変わっていく。チョップ合戦だ。そして怒声を上げたハイキックの乱れ撃ちで健介をKOする。
健介の腕をつかみ、川田はチョップ、健介も負けず逆水平の打ち合いだ。徐々に川田のペースでキック攻撃やバックドロップも決まり、お得意のパターンのサッカーボールキック、顔面蹴りで健介をKOし大歓声の中、10分が経過する。
そして川田のフイニッシュホールド、ストレッチプラム!新日本初登場の大技だ。
セコンドのライガーから健介に激が飛ぶ。健介が反撃開始。珍しい顔面蹴りに、逆一本背負いで川田を叩きつける。受け身が取れず大変危険な技だ。そしてラリアットにサソリ固め。長州力対天龍源一郎の対決が頭をよぎる。
両雄、大激闘である。ラリアットの打ち合いでダブルKO!長州と天龍、いや、猪木対馬場か。
そして最後は川田のジャンピングハイキックで3カウントが入る。両者、死力をつくし倒れこむ。二人しかいない全日本プロレスの川田が勝った。
ベルリンの壁が崩れ、巨大な新日本プロレスと、ちっぽけな全日本プロレスの戦いが始まった。
二人の試合後、両選手のセコンドが流れ込む。その中に、名前も顔も知らない全日本の若手選手が、ジャイアント馬場のイラストが入ったTシャツを着ていた。
新日本プロレスのブルーのマットに、Tシャツとはいえジャイアント馬場がいた。天国の馬場がこの試合を見ていたらなんて答えたろう。きっと何も言わずにニコっと葉巻の煙をふかしていたろう。
健介はその場でベルトを返上し、無言で退場していった。記念すべき、開戦。まさしくプロレスだった。
(文・GO)