30年ほど前のこと。大学3年生の私は全日本体重別学生選手権中四国大会予選への出場をひかえていました。
大学生になり筋肉が付いてきたのもあり、体重が60キロ近くまで増加。試合は8キロくらい減量して52キロ級に出場していました。この階級には勝てるか勝てないかギリギリのライバルが1人いて、私と彼女が優勝候補の筆頭でした。
試合直前に大怪我
試合2週間前のこと。立ち技の乱取りから投げたらそのまま寝技までやる「立ち寝」と呼ばれる稽古をしていました。この稽古では、道場内に立ち技をしている人、寝技をしている人が入り乱れることになります。ときどき接触はあっても、そこまで危険な事故が起きることはめったにありません。
これは相当運が悪かったということなのでしょう。私が四つん這いになっていた所に120キロを超える男子の先輩が上から落ちてきたのです。
右足の甲に鈍い音が走り、私は会場一面に響き渡るくらいの大声で叫びました。すぐさま運ばれてそのまま病院へ。診断は、右足の甲の圧迫骨折でした。
「全治3カ月です。」
病院の先生は言いました。
テーピングで固めて試合に出場
怪我をしてから3日後にはテーピングしたら足をついて歩けたので私は自己判断で試合に出ることを決意しました。
最初に超えるべきハードルは減量です。試合まで残り2週間はろくに飲み食いしないで、とにかく残り3キロを落とすためにルームバイクで汗を流していました。
そして減量は成功、怪我の方もガチガチに足をテーピングで固めて何とか動けるまでに回復しました。
シードなので試合は3回勝てば決勝まで行ける、しかし、その3試合が地獄でした。
痛みで何回もうずくまる、しかし、痛みのために審判を2回止めたら失格と言うルールのため、痛いからと言って試合を中断できない。
片足が使えないときに取った戦術
私は立ち技ではどうにもならなくなって、できもしない巴投げから無理やり引き込んで得意の寝技で3試合勝ち進んで行きました。
足は限界で、3試合目が終わって立てなくなった時、私の上に降ってきた120キロの先輩が駆けつけてくれておんぶして私を運んでくれました。
「もうだめだ、棄権しよう。」
そう思った時、反対側のトーナメントで奇跡が起きました。
何と、優勝候補のライバルが負けたのです。彼女に勝ったのは、何と私の後輩でした。
そして、迎えた決勝戦。
勝ったら全日本学生選手権にいける、相手は後輩、決して気を抜けない試合だと心に言い聞かせて臨みました。
足はもう限界、相手は私の手の内を知っているので寝技には引き込めない。
痛めているのは幸いにも軸足ではなくてはね足の方でした。私はダメ元で、組み際に奥襟を取ってそのまま払腰を掛けました。
「一本!それまで!」
会場に大声援が湧き、チームメイト全員のガッツポーズが目に入りました。私の上に降ってきた先輩は泣いていました。私は優勝して、全日本学生選手権の切符を手に入れたのです。
勝てたのも勿論嬉しかった、でも、私に怪我をさせてしまった先輩はもっと嬉しかったんだろうなと思うと、一気に気が抜けて、しばらくぼーっとしてたのを今でも覚えています。
(文・黒帯ももこ)