少年剣道を指導していると、運動ができる子とできない子でずいぶん差が出てくるのを目の当たりにします。
これは仕方のないことだとは思うのですが、同じように隙を見ても、やはりスピードのある竹刀操作をすれば、当たる確率も高くなってきます。
そして、これは大人にも言えることで、試合では若くてスピードのある人のほうが、格段に有効打突を得やすいのです。
剣道で若者のスピードに対抗できるか
30代後半から剣道を再開した私にとっては、継続して剣道をしている人と比べると、スピードもパワーも大きなビハインドを背負っていました。
そういった状況で、試合などで若い人を相手に対戦すると、どうしても竹刀が相手に当たらない事態が多かったのです。
大人になれば、パワーの差もそれほどは感じることはありませんが、スピード(とくに足さばき)はだんだん追いつかなくなってきます。
こちらが先に動いたとしても、相手にすぐに対応されてしまい、技が当たらないことがずいぶん続いていました。
しかし、剣道は、身体的にはピークを過ぎたであろう高齢の高段者に隆々とした若者が全く歯が立たないなどということはざらにあります。これはどういうことなのでしょうか。
運動神経に頼らない勝ち方もある?
将棋では、相手がこれからどう指してくるかを配慮せずに自分勝手に指すことを「勝手読み」といいます。
これは剣道でも似ているところがあって、自分のタイミングで打って出ても大人になればなるほど当たらないものです。
なぜなら、相手も自分と同じ、またはそれ以上に稽古をしているからです。ただ打つだけでは当たらないのは当然なのです。
しかし、運動神経だけで打って勝ってしまうとそれがわからなくなってしまいます。私も、どうやったらスピードのある技が出せるだろうと、力をつけることばかり考えていました。
しかし、ただ当たっただけでは勝ちではなく、その場の状況を制してこそ勝ちなのです。
打たれる稽古で得られるもの
こういった状況から脱するために、ある時、ひたすら「打たれる稽古」をしました。
剣道は、構え合って攻め始めたらもう打つしかありません。ただ、いつ打つのか、これが問題なのです。その「いつ」を見つけるために、稽古ではひたすら打たれ続けました。
剣道では、試合稽古で試合を想定した稽古をします。試合のように振る舞うので、当然打たれたくはありません。
ですが、本番で負けないように、稽古では打たれる稽古をするのです。それによって相手がどこで打ってくるのか、自分の動きに対してどう反応してどう動くのか、なぜそう動くのかを考えます。
そして、立ち合いの始終の振る舞いを大体決めていきます。勝手に打つのではなく、裏付けのある打突をするために打たれるのです。
負けたくない気持ちが稽古の邪魔をする
この稽古の難しさは、打たれたくないという気持ちが誰にでもあるというところです。
特に子供たちは「負けたくない」という気持ちが勝って、どうしても相手が打ってくるところを避けたり、返したりします。
しかし、この稽古をしている側からみると相手が反応するところを見ているので、簡単に次の技を出すことができるのです。
「負けたくない」「打たれたくない」という気持ちが、かえって自分を弱くしていることがわかります。
高齢高段者の強さの秘密は先回りする力
打たれることで、だんだん相手が出てくるところが見えるようになってきます。
そうしてようやく、自分が主導権を取った状態で技を出すことができるようになります。現在もこの稽古をしていますが、ほんとうにだんだん相手の技が見えてきます。
相手が出てくるところがわかるということは、相手より先回りしていることと同じなのです。
高齢の高段者の場合も、実はスピード勝負にならないように、先回りされているために歯が立たないのです。
ただ、どうしても不意打ちのように相手が出てきた場合は、体が反応して避けてしまったりしますが、相手の技を見極めることが目的なので、なるべく自分から攻めて仕掛けることが重要なところです。
(文・波之平)