私が17歳でプロボクサーとしてデビューしたジムに十林さん(仮)というボクサーがいました。
20代後半で見た目はちょっとずんぐりむっくりした体型、優しそうな顔をした人でした。私がジムに入門した当初から優しくしてもらい色々と教えていただいた先輩です。
えっ!この人プロボクサーだったの?
こう言っては失礼ですが、私から見ても才能があるようには見えず、スパーリングでも打たれまくり。ミット打ちでもパンチ、スピードもなく、体力作りで通っているおじさんだと思っていました。
ある時、十林さんに試合が決まったという話があり、「プロボクサーだったの!?」と驚いた記憶があります。
その当時、私は同時期に入門した先輩とプロテストを控えており、十林さんとジムに来る時間帯が同じだったこともあり、勉強がてら試合までのサポートをさせていただくことになりました。
そのとき、私たちが知った十林さんのプロフィールがこちら。
- バンタム級 A級ボクサー
- 右ファイター
- 戦績 8勝1KO23敗
見た目の印象とこの戦績で、私も先輩も正直十林さんを舐めていました。
かませ犬、そんな言葉がピッタリ当てはまる
私たちが行ったのは、減量のために部屋を暖かくするストーブの調整や、腹筋トレーニングでのメディスンボールの手助けなど。
簡単な内容だったのですが、そこで「えっ?」となる事実を聞く事に。
何と試合は10日後で、それまでに約12キロの減量を行うというのです。
対戦相手は全勝で日本ランカーになったばかりの期待のホープ。
かませ犬、こんな言葉がありますが、それがピッタリと当てはまる状況です。
しかし十林さんは、全力で真面目でした。鬼気迫るという感じ。
2~3時間の練習を終えると、家に帰ってもストーブを炊き、干し椎茸を食べて水分を出していると。
サポートしつつも私たちは、試合なんて出来ないだろう、まして勝てっこないと内心思っていました。
世界クラスの対戦相手と連戦
十林さんは会長やトレーナーと試合会場のある他県に向かいました。
インターネットの速報などない時代。試合結果を待っていると、試合の次の日、帰ってきたトレーナーが言うには、「判定負けだった」と。
「やっぱりか」
と、私たちはまだ十林さんをナメていました。
そんなことも知らず、十林さんがジムにやってきました。
そして、私たちを見るなり、負けたお詫びとサポートのお礼を言ってくれました。
そこへジムの会長がやってきて十林さんに言いました。
「おい、オファーあるけど試合やるか?」
十林さんは、「やります!」と即答。
相手はバンタム級で世界を狙ってるボクサー。私たちも知っている有名選手でした。この選手の試合はぜひ見てみたい…。
今度は試合を見せてくれるとのことで、もう一度サポートを頼まれた私たちは、「やります!」と十林さん同様に即答したのでした。
負け続き、蕎麦屋プロボクサーの矜持
試合は25日後。ちょっとずつ減量するから今日は俺の所でご飯食べようと誘ってくれた十林さん。
練習後について行ったお店は蕎麦屋でした。
暖簾(のれん)を見ると、「十林」の文字が。
十林さんの実家は蕎麦屋で本人は2代目。減量中も厨房に入っているそうです。
この人はなぜボクシングをしてるのだろう?
まだ子供だった私たちは遠慮を知らず、ストレートに聞きました。
十林さんが照れながらも答えます。
勝ったら嬉しい。
だから勝つ為にやってる。
でも負ける事もある。
悔しいからまた頑張る。
這い上がったら、また自分が一つ強くなってる。
…負けるのはかっこ悪い事だと思っていた私たちには衝撃でした。
次の日から私たちのサポートが始まりました。前回とは違います。十林さんと勝ちを共有したいと心底思いました。
しかし結果は残酷です。今度も判定負け。
その後数試合した後、十林さんはグローブを吊るすことになるんですが、引退前に私たちに言ってくれた一言。
「全力でやれ。」
全力でやった十林さんを見た私たちには突き刺さるくらいに真っ直ぐに響き、今だに「全力でやれ」が頭に残ってます。
世間的には負け続きのボクサーでも私たちのヒーロー誕生の瞬間。
その後もジム、プライベートで会うたびに「やってるか?」と声をかけてくれた先輩。
あなたは私の人生の先生です。
(文・ジャッカル雅登)