井上康生対策のためだけに技を磨いた男が、現役を続けていた!

柔道男子95kg以下級の井上康生選手は、スポーツ選手の中でも国内外問わず誰でも知ってるほどの有名な選手。シドニーオリンピックでの決勝で見せてくれた見事な内股は世界中を湧かせました。

アテネオリンピックでは残念ながら敗退してしまいましたが、彼は中学、高校、大学、社会人でも、常に日本のトップクラスの選手でした。

私の母校である県立高校は全国大会の上位入賞常連校で、井上康生選手のチームと対戦したこともあります。北海道で行われた松前旗大会でのこと。井上康生選手率いる東海大相模高校に対し、母校は3人残していたにもかかわらず、全員が1分以内で一本負けし準優勝におわりました。東海大相模高校の実力は計り知れないと痛感したのを覚えています。

しかし井上康生選手は、高校時代にとても苦手な選手がいました。ここではその選手をA君と呼ぶことにしましょう。A君は井上康生選手の内股を日々必死に研究した結果、井上康生選手に何と、2度も勝っているのです。彼はその後進学した大学を優勝へと導き、卒業後は実業団に。

そんなA君が私と同じ職場に入社してきたのです。

井上康生を倒した男と同じ職場に

彼が入社してきたのは私が入社した4年後の2004年でした。A君は私の2つ年下で、当時25歳。アブラの乗り切った頃だったのを覚えています。A君は体格も良く力強い柔道で、私たちの業界で行われる柔道大会で全国三位の成績を残しました。

彼は柔道をやるために入社したという感じで、仕事面においては少し心配な所もありました。柔道に関していえば全日本レベルでありましたが、私たちの業界には当直勤務もあったため、A君は段々と稽古不足になり、ベスト体重をキープすることも難しくなっていきました。

その上、彼の柔道スタイルの問題もありました。井上康生対策のために磨いた返し技中心のため、徐々に試合でも勝てなくなっていったのです。

その後、私はA君とは別の県に転勤。しばらくしてA君が会社を退職したことを風の噂で知りました。

打倒井上康生の目標を貫いた柔道家

ところが昨年の2018年、A君が私の隣の県で別の仕事をしていることを知りました。そして何と、今年の春に行われた柔道大会に出場することを知り、私はすぐに会場に足を運んだのです。

そこには、あの時と変わらないA君の姿がありました。同じ職場で出会ってからおよそ15年。歳は取っているけど、当時を思い起こさせるA君の姿を見て、私はとても嬉しく思いました。

彼は井上康生対策ためのだけに技を磨いた選手です。それ以外の技もしっかり学んだ方が選手としての幅は広がったのかもしれません。しかし彼にとって井上康生選手に勝つことが夢であり、目標だったのでしょう。誰から何と言われても、自分で決めた目標に向かって突き進むA君の姿に、私も少なからず影響を受けました。

私は試合が終わる頃にA君の元へ。当時の思い出話などに花が咲いて、とても楽しいひとときを過ごしました。

(文・ダッカー)