高校時代の柔道部顧問の先生は30代前半の若い先生でした。先生と初めて会ったのは中学3年の夏です。
中学最後の大会で不本意な結果に終わり、腐っていたところにその先生と会い、半ば強引に今度練習に来いと言われたのが最初でした。
無名選手を強くする柔道部顧問
先生は若手ながら全国レベルの選手を何人も育てあげる名監督で有名でした。それと同時にとても厳しいことでも有名でした。いざ、高校に練習に行ってみるとその練習量が周囲と比べて群を抜いていることに驚愕しました。
さらに、そこの生徒(私の先輩になる)は地元のまったく無名の選手ばかりでした。厳しく過酷な練習ながらも生徒はいきいきと充実感に満ち溢れた表情と雰囲気を醸し出していました。
先生が生徒の目線に立って丁寧に根気強く指導していたのが印象的でした。私自身も無名の選手だったのでこの環境がとてもピッタリだと感じました。ここで頑張れば一花咲かすことができるかもしれない、そう確信し入学しました。
中学の同級生は地元の強豪校に行きました。地元の先輩もその高校にみんな行っていたので裏切り者扱いをされていましたが、恩師となる先生は気にするな、一緒に頑張ろうと励ましてくれました。ここから、師弟関係が始まります。
社会で通用する立ち振る舞いを
私が恩師と仰ぐ先生の指導はとても細かいところまで徹底して繰り返し同じ事を言い続けることが多かったようにも感じます。
しかも柔道の指導よりも普段の学校生活、私生活の指導の方が多かったです。まず、挨拶と立ち振る舞いです。これは基本中の基本とされ、高校生レベルでなく社会で通用するように徹底的にご指導頂きました。
話している人がいれば、その人の方に体を向けて、目を見て、相槌をしっかりとる、必要なことはメモをする等社会人のマナー研修よりも細かいことを何回もやりました。話す声のボリューム、敬語の使い方、礼法も同じく何回も教えて頂きました。
授業中も寝てはいけない、授業もろくに受けれない人は柔道をする資格もない、と学生の本分である勉強にも力を入れていました。
そのため、部員が赤点で部活に遅れることもなく、他の部活の模範となるような部活になりました。逆に言えば、このような当たり前のことがしっかりと出来るようになれば柔道も強くなるとよく言われていました。なので部員は必死になって練習に励みました。
試合ではリラックスして実力を発揮
唯一、飴をくれる時があってそれが試合の時なのです。今度は逆に緊張している部員を笑顔で大丈夫、できるよ、勝てるよと鼓舞してくれるのです。
それはまるでマジックのようで、不思議と緊張感もなくなり部員は普段の力を存分に発揮することができました。私も何度もマジックにかかり、勝利を手にしてきました。
さらに、采配も神懸かり的で常に大番狂わせを演じ、大会では常に台風の目になっていました。しかも中学まで無名だった選手が中学時代の有名選手を次々と倒していくのです。これを体験して、この先生に出会って良かったなと思いました。
社会に出ても困らなかった
このようにして中学時代から予想も出来ないくらいの大躍進を高校ではすることができ、一花咲かせることができました。先生はどんなに結果を残しても常に謙虚に生活していました。
私たち生徒もその姿を見て育ってきたので、それが当たり前として生活してきました。これは高校を卒業して大学に行っても社会に出てからも通用しました。何も困ることが無かったのです。
目に見える部分だけでなく、精神的にも考え方も謙虚に相手を敬い、物事を客観的に冷静に捉えることができるようにもなりました。これは柔道選手としてではなく、人間としてとても重要な事を教えて頂いたのだと時折思い返して生活しています。今でも何かあれば先生に相談しています。
(文・すーさん)