現在はRIZIN、DEEP、海外にはUFC、ベラトール、ONEチャンピオンシップなど総合格闘技団体が数多く存在します。
過去にさかのぼると、日本ではまだバーリトゥードやMMAなんて言葉も誰も知らなかった時代、1993年にアメリカでUFC第1回大会が開催されました。
その後、日本でもバーリトゥードJAPANなる大会が開催され、1997頃になると総合格闘技の試合が数多く行われるようになっていました。
その頃の私は社会人3年目で若さ溢れる年代でした。当時の格闘技の盛り上がりについては今でも鮮明に覚えています。
中でも強烈だった高田延彦vsヒクソングレイシーの2度にわたる対戦について取り上げたいと思います。
とくに2度目の対戦に関しては、私は友人たちと車に乗って名古屋から東京ドームに高田の応援に赴いたのでした。
90年代、総合格闘技のリングに上がったプロレスラー
当時は有名な格闘家といえばプロレスラー以外にはあまりいなかったので、プロレスラーが試合をするとなればお客さんも入ります。そのためプロレスラーとしてはあまり人気の無いレスラーが総合格闘技のリングに高いギャラでオファーを受けては、総合の試合をしてよく負けていました。
やはりプロレスラーは職業柄どうしても技を受けてしまうため、簡単にやられてしまうレスラーを見て、プロレスファンの私は悲しくなった記憶があります。
プロレスラーとしては人気がなくても、ファンの間では「実はあのレスラーは喧嘩をやらせたら1番強い」みたいに言われていたレスラーが、総合格闘技のリングで簡単にやられてしまうのは残念でした。
人気も実力もトップクラスのプロレスラー高田延彦
そんな時に当時、プロレス界で人気も実力もトップクラスの高田延彦が、あのヒクソングレイシーと戦うことに!
高田延彦といえば、若い格闘技ファンの方々にとってはRIZINでの「出てこいや!」のイメージが強いと思います。
しかし、90年代の高田は元横綱の北尾、オブライト、ベイダーといったトップレスラーを倒し、自身も「プロレス界最強」を宣言していました。さらに若い頃の高田は身体つきも顔もカッコよくて、当時間違いなくプロレス界のスター選手でした。
当時のヒクソングレイシーは、UFCで活躍した弟のホイスグレイシーよりも強いとされ、本当かどうかは分かりませんが確か400戦無敗の男なんて言われてました。
そんなヒクソンがプロレス界最強の高田と戦うのです。
試合の発表から試合当日まで、指を数えながら毎日興奮していました。
自分は間違いなく高田が勝つと思ってましたし、格闘技の中ではプロレスが最強と本気で信じていたのです。
高田延彦vsヒクソングレイシーの1回目
この試合は地上波放送ではなく、当時できたばかりのスカパーでした。ネットなんてまだ普及してないから、ベランダに大きなパラボナアンテナを付けてスカパーを見る必要がありました。
私にはスカパーを見れる友人が一人いたので、友人の家に集まって何人かで観戦しました。
誰もが本気で高田延彦が勝つと信じていました。
入場してきた高田の強張つた表情を見て「あれ?」って思いました。
ゴングが鳴っても全然組み合わないし、ヒクソンの周りをグルグル回るだけの高田に対し、堂々と構えるヒクソン。ヒクソンからは余裕も感じられました。
そして組み合うとすぐに腕十字を決められ、プロレス最強の男があっけなくギブアップ負け。わずか2分程で終わってしまいました。プロレス界最強の男か何もできず2分でギブアップ負け?
自分は驚いて言葉も出ませんでした。
この頃から自分のプロレス熱も少し冷めていったし、世の中を見渡しても闘魂三銃士や三沢、川田、小橋の世代で盛り上がってきたプロレス人気が再び落ちてきて、プロレス界は冬の時代を迎えます。
プロレス界冬の時代と高田の敗北は無関係ではないと思います。
高田延彦vsヒクソングレイシーの再戦
プロレスファンにとって悪夢の敗北から1年後に、同じ場所で再び高田延彦とヒクソングレイシーの再戦が決定しました。
高田も再戦に向けた1年間の準備期間で十分に対策ができてるのでしょうか、自信ありげで凄く期待が持てました
「今回の高田は必ずやってくれる!」と信じ、私もなんとしても高田に勝ってもらい、再びプロレス界の人気を取り戻してほしいと願い、当日は、プロレスファンの友人5人と名古屋から車で東京ドームまで応援に行きました。
まだカーナビの無い時代の往復800キロのドライブです。今では考えられませんが若さの勢いもありできたのでしよう。
車内ではプロレスラーの入場曲ばかりを流し、気持ちも高ぶってきました。応援体制は完璧でした。
東京ドームに全国からプロレスファンが集まってきていたのでしょう。ドーム全体が大、大、高田コール一色。1年前と違い高田の表情にも余裕があります。
今回の高田はやってくれる! 試合中、高田が1度ヒクソンの上に乗った時は歓声でドームが揺れてましたからね。
結果は残念ながら前回と同じく腕十字で負けてしまいました。対策もできていたので前回みたいにアッサリとは負けませんでしたが、プロレスファンとしてはやはり悔しかったです。
プロレスと総合格闘技は別のジャンルだった
今なら理解できます。
プロレスラーが総合格闘技の試合をやるなんて、無謀なんですよね。全く別の競技なんですから。
間違いなく高田延彦vsヒクソングレイシーの対戦は日本に総合格闘技人気を根付かせる一戦でした。
そして皮肉にも、今の総合格闘技人気のきっかけを作った立役者である高田延彦が、長いプロレス冬の時代を招いた戦犯でもあるというのは何ともいえない気持ちです。
現在では棚橋、岡田、内藤とスター選手が育ちプロレス人気も復活してきました。
このような時代であれば、プロレス界のトップレスラーが総合格闘技のリングに上がり、MMAルールで戦うなんて事は絶対ないでしよう。
プロレスも総合格闘技もそれぞれ異なるジャンルとして楽しめばいい。現在のプロレスファン、格闘技ファンはこのことを理解しているけれど、私も含め当時のプロレスファンはプロレス最強幻想が強すぎて、そんな事が分からなかったのです。